林檎好きの戯言ログ

気まぐれでしかブログ書きません。しかし毎回長い。

After Aqours 3rd Saitama PART 2: Dialogue in Pianoforte 1st movement

前回のあらすじ

Aqoursでの推しーー逢田梨香子の「音楽力」について語るシリーズを始め、パート1では逢田さんのボーカルを見ていたけれど、要するに

 

  1. 初期にはなかった「フレーズの最後の跳ね(⤴︎)」の運用
  2. Aqours屈指の演技込めた歌唱
  3. ロックやかっこいい系になるとキャラクターを超えた化け物級パーフォマンス

という三つの特性が逢田さんの歌を構成していると見ていた。

他にもメロディーのフレジングの処理や裏声と地声の使い分け技術がその歌から観測することができ、その意味では逢田さんを「ポテンシャルの化け物」と言っても過言ではないと私は思っている。

 

詳しくは前の文章へどうぞ。 

ringojolno.hatenablog.com

 

さて、ここからは、ピアノという単語を元に、二つの話をしたいと思う。

  1. Pianoforte Monologueという「特例」
  2. ピアノ演奏とその他のことから視える耳の話

上述の二つの話はどっちもある意味ピアノと関連しており、それらを「1st movement」と「 2nd movement」に分けて、別々話したいと思う。

 

また、本来ならボーカルとピアノ演奏を別々にして語るべきだったと私も思っているのだが、ちょうどどっちもピアノと関係があったりなかったりするので、「『ピアノ』が何かを教えてくれる」というコンセプトを取りたいと思い、本記事は「1st movement」として「Pianoforte Monologueという『特例』」について語らせていただく所存。

 

またいつも通りのことだが、このシリーズは遊び程度の観測であり、戯言を「事実」だと勘違いしないように。

 

 Dialogue in Pianoforte 1st movement: 2.5次元の君たち

先日に行われた、Aqours 3rd lovelive! Tour ~WONDERFUL STORIES~埼玉公演で、桜内梨子のソロ曲「Pianoforte Monologue」はようやく披露された。

一逢田梨子推しとしては本当に待ちに待った5分間であり、現地でその初披露を見届けることができ、もはや「感動」とか「光栄」とか、そういう言葉では表せない気持ちがたくさんだった。

 

ステージ映像をバックにして、ピアノのメロディーとともに踊り出す。しなやかに伸ばし出す手とともに流れる音符の波。己の色に満ちた「空」に羽ばたく「輝き」と「想い」。

 

っと、もはや語彙力が頼りにできなくなったぐらい、「細かい部分はなぜか忘れてしまったけどあの5分間で作られた『世界』は未だに忘れていない」という矛盾も発生してしまうぐらい、幸せいっぱいな5分間だった。

 

しかし、実に面白いのだ、「Pianoforte Monologue」という「世界」は。

最初に試聴動画で聴かせてもらった時は、その1サビ分ですでに次元の「食い違い」を感じていたし、

前の「Pianoforte Monolgueの音楽的なあれこれ」の記事でもそれについて言及した。

 (一応はてなブログにも移植したのだが、evernoteの方をオススメする)

www.evernote.com

 

その記事は編曲・作曲視点でPianoforte Monologueを観察してあれこれについて語り出し、おまけの部分でで歌のことについて少しだけ触れさせたけど、

 

  1. 「歌っているのは誰だ」
「Pianoforte Monologue」の視聴動画が公開された日から、私はずっと疑問に持っていた。
歌詞の内容でどっちも連想できるというのは当たり前だけど、
そう思わせてくれたのは「Pianoforte Monologue」のボーカルの声質なのだ。
 
っとまぁこんな風に語らせた。
 
実際のステージを見て確信したのは、Pianoforte Monologueはある意味「二人分の固有結界」であり、そんな世界の中では「次元」という壁がないことだった。
 
何故そんな世界が出来上がったのかというと、それは表面的な要素と内面的な要素、どっちも原因になっているからと私は思う。
 
表面的な要素:外見(服装と髪型)、声、演出者=キャラクターを担当している声優本人
内面的な要素:アニメ1期10話から11話までの展開、及び1st Liveの時の、「想いよひとつになれ」の演出とそれに関係している出来事
 
内面的な要素についてはいざ語り始めるといろいろと制御できなくて本題から逸れてしまう恐れはありすぎるので、ここは「ボーカルの声質」について話したいと思う。
 
パート1(’After Aqours 3rd Saitama PART 1: Do Justice to Your 'GUILTY' Music’)では、逢田さんがラブライブ!サンシャイン‼︎での歌唱を二つのスタイル、「Aqoursとしての桜内梨子」と「Guilty Kissとしての逢田梨香子さん」に勝手に分けさせてもらったのだけれど、
 
そう、Pianoforte Monologueでの歌唱は、実は上述のスタイルに当てはまらないのだ。
 
怠け者モード全開で申し訳ないが、ここもやっぱり「Pianoforte Monolgueの音楽的なあれこれ」の内容を引用させてもらう。
 
桜内さんの歌声には甘味があり、その甘味をもっとも引き出せた曲はおそらく「Guilty Night, Guilty Kiss」であり、
例えば「Daydream Warrior」のようなかっこいい曲でも、桜内さん特有の甘味と切なさは薄くなったりはしなかった。
しかし、「Pianoforte Monologue」では、視聴動画公開分(一番サビまで)は珍しくそう聞こえなかった。
歌詞のせいでもあるかもしれないが、簡単に言うと「甘味」が薄い。
一番サビ以降は「甘味」が戻ってきて「桜内さんが戻ってきた」感があるが、なぜだろう。
 
本記事作成しながら改めてPianoforte Monologue(ボーカルオンニー)を聴いて確認したところ、やはりPianoforte Monologueを初めて聴いた頃と同じ感想を持ってしまう。
 
Pianoforte Monologueを歌っているのは、桜内梨子じゃない誰かだ。
 
そのような感想を持たせてしまう原因を自分なりに考えたみたが、まずはこの曲における歌唱の二つの特徴を見て行きたい。
 
1. 地声に近い歌唱
 
この前フォロワーさんと話していてみんなで頷いてたかつ本人も言及したことがあって、それは「逢田さんの声質は高くない」ことだった。
 
合唱団にはおおまかだけどソプラノ(女性高音部)、アルト(女性低音部)、テノール(男性高音部)とベース(男性低音部)4つのパートがあって、そのパート分けは団員の声質と直接に関係している。
ちょうど何年前自分は大学の合唱団の新入生オーディションで審査員をやらせていただいたことがあって、その時最初に行うのはパートの判定だったけど、しゃべりでだいたいはその声質といるべきパートを把握できて、その後にいろんな音を歌で届いてもらって、「どの範囲では歌声がもっとも響くのか」を聴いてから正式にパートを判定するという作業を行っていた。
 
個人的には逢田さんの地声だと、率直言うと一番好きの部類には入っていないが、キャラ声になるとかなり甘いや愛嬌のある声で、そこがとても好きだけど、そういう時はやっぱり役の声になるためにわざとトーンを高めにする必要があるのではないかと推測している。
かと言って特に低いわけでもなく、おそらく地声(たとえば個人ラジオ「逢田梨香子のまるごとりかこ」でのしゃべり)はやっぱり中音域にあるのではないかと自分は思うし、それだと歌唱もおそらく中音域がもっとも得意なんじゃないかなぁと推測したい所。
 
そんな逢田さんが担当している桜内梨子ちゃんの声は、少なくとも逢田さんの地声よりも高く、しかも甘みたっぷり。もうあざといと言われるほどの。好き。
 
余談だが、最近のCDドラマ(HAPPY PARTY TRAINあたり)と初期のCDドラマ(恋になりたいAQUARIUMあたり)を聴き比べてみると、初期のCDドラマの梨子ちゃんはありえないほど声が高いし微妙に色気を持っていたけど、逆に最近のCDドラマにいる梨子ちゃんは声の高さをも含めて、いろんな原因で「梨子ちゃんの皮をかぶった逢田さん」だと錯覚させてくれている。
 
 さて、Pianoforte Monologueの話に戻る。
 
Pianoforte Monologueのメロディーで使われた音と声区(または音高)については前も記事で言及したけど、簡単に言うとこの曲の音はどっちかっていうと「低い」方なのだ。
サビはともかく、AメロとBメロの範囲はあくまでC4(Middle Cとも呼ぶ)からB♭4で、しかもAメロ前半だとC4〜F4しか使われていなくて、割と低い方の音域になっている。
前述したように桜内梨子ちゃんの声は高い方で、その甘みと柔らかさを出すためには、どうもPianoforte Monologueの音域ではそれがとても難しいらしい。
正しく音をヒットさせるため、そして正しく「曲を歌う」ため、桜内梨子ちゃんの歌よりもどうしても地声寄りの歌になってしまうのではないかと私は思う。

2. 例の跳ねは健在 
 

みんな大好き跳ね⤴︎。

パート1ではたっぷりと語らせてもらったけど、Pianoforte Monologueにはその跳ねも存在していたのだが、やっぱり全体的に音域が低いから普段よりは少し出現回数が減った気がしなくもない。

しかし実際のところF4の音にでも跳ねを入れたところを見て、低い音=跳ね出せないというわけでもなさそうだ。

 そして前述の「地声に近い歌唱」にあわせてみると、跳ねが存在しても音域によって桜内感が半減されていることは、どうやら「跳ね=桜内梨子」にはならないらしい。跳ねによって色気が増えたのだが、肝心な「甘みと柔らかさ」は跳ねとあまり関係していないかもしれない。

そんな歌唱で歌われたPianoforte Monologueは、メインメロディーでは桜内梨子が見つからないし、どっちかっていうと歌い手の本音、つまり逢田さん自身がその歌の中に存在していると私は考えている。

 

しかし、それだと、ある意味まずいのだ。Pianoforte Monologueは、桜内梨子のソロ曲であり、桜内梨子のエピソードを語る曲だったはず。なのにどこにも桜内梨子が見つからなくて、代わりに逢田さんが表に出ているような歌になっていて、どうするものか。

 

上の疑問に答えるために、ここはシェフの身分を捨てて、とても意地悪な、もしくは残酷な言い方をすべきかもしれない。

 

桜内梨子ちゃんと似たような経験をした逢田さんだから、みんなはそれをあまり気にしていない、もしくは気にしないようにしているのだろう」。

 

1st live Day 1はともかく、Day 2はまさにそれだった。たとえそれが誰もが望まなかった、しかし誰もが感動に思ってしまった展開だったとしても。

そう、ここに来てようやく内面的な要素が動き出し、Pianoforte Monologueという「世界」を立ち上げて行き始めるのだ。

あのピアノ演奏があったから、Pianoforte Monologueの歌詞はまんまと逢田さんのエピソードにもはまるし、おそらくそれで自分は試聴動画を開いた時「違和感を感じた」よりも「歌っているのは誰だ」と困惑していたかもしれない。

 

「いや、違うだろう」ではなく、「梨子ちゃん…?いやでも逢田さん…?」だった。

 

と言いながら、実はボーカルオンニーで確認してみたところ、あるところに梨子ちゃんを「見つけた」のだ。

コーラス、またはバッキング・ボーカルに梨子ちゃんがいた。

「Pianoforte Monologueにいるとしたらそれはピアノだろ!」という主張には同意するし間違いないなぁと思いつつ、実はコーラスの方の音域が全然高くて、ちょうど梨子ちゃんの声を容易く「出せる」音域になっているし、何よりコーラス特有の息混じりの歌唱が梨子ちゃんっぽい甘みを出してくれているのだ。

これも不本意なのかもしれないし、「ただの妄想だろ」って言われたら正直認めよう。その通りだ。

だけどもし上述の主張で一回でも改めてその歌を聴いてみたら、おそらくかなり恐ろしい景色が見えるのだろう。

 

「逢田さんが表に歌っているのを、梨子ちゃんはコーラスとして支えてあげている」という景色。

 

とまぁ以上のアツすぎた語りから離れて、簡単にまとめよう。

まとめ

Pianoforte Monologueの音楽上の特点と、逢田さんの声の特性と、この前見届けたライブパフォーマンスについて考えて、そして上述の観点を踏まえて、私はこんな結論にたどり着いてしまった。

 

Pianoforte Monologueの歌唱は、不本意ながらも、逢田梨香子さんと桜内梨子ちゃん、二人分の歌なのだ。

 

そして、ライブパーフォマンスでのPianoforte Monologueは、完全に一つの「世界」になっていて、その「世界」こそが2.5次元だったかもしれない。

 

歌も外見も、曲も動きも、最後のセリフさえ次元の境界線が曖昧の世界。

 

サンシャインのソロ曲には2.5次元のエレメントが含まれている主張に私は頷いているのだが、
それは歌詞の話であり、ボーカルの表現はやはり別のこととして考えたほうがいいのだろうか。
もしくは私の中では最初から桜内梨子逢田梨香子の境界線がかなり曖昧になっているからか。
私の中の2.5次元は、もしかしてそういう意味だったかもしれない。

 

「Pianoforte Monolgueの音楽的なあれこれ」では私はこう語ったのだが、ライブパーフォマンスを通じて、自分の中ではほんの少し答えに近付けた気がする。

 

たとえそれが不本意、あるいは偶然が重なった結果だとしても。

 

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