林檎好きの戯言ログ

気まぐれでしかブログ書きません。しかし毎回長い。

LIVE。

思えば、最初にライブというイベントのためにわざわざ日本に訪れたのは、2016年3月31日~4月1日に開催された『ラブライブ!μ's Final LoveLive!~μ’sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪~』がきっかけだったなぁ。

 

当時大学生だった自分は自分一人で遠征できるほどの財力などなく、また時期的に学期の真ん中であり、わざわざ海外のコンサートに行くために授業をジャーすることなんて厳しい親から許可が降りられるはずもなく、そのためわざわざ4日ぐらい地元から離れてもいいような授業スケジュールを意地でも作り、一般発売で1時間半ぐらい粘りに粘ってようやくチケットを勝ち取り、最終的に春の海外旅行という名目でFinal Day 2に参戦することができた。なんなら海外旅行のスケジュール的にもDay 2にしか行けないし、6年後の今当時を振り返ってみると、「よくあそこまで勝ち取れたなぁ」とやはり感心する。

 

一人で東京ドームに向かい、入場前にファンの方々のグループを淡々と眺めながら、物販スペースに足を運ぶ。参加させていただいたフラスタの確認もする。ライブ参戦でどれぐらい体力が使われるかがわからないから、念の為コンビニで食料を調達する。UOも二本ぐらい買う。色々準備を終わらせてから入場。会場の中めっちゃ煙たいけど大丈夫か…?でも楽曲が流れてるしなんか皆も曲に合わせてペンライトを振ったり色を変えたりしているから、自分も真似して練習しよう。SLSLとかの色変えめっちゃ楽しそうだし上手くできるようになりたいなぁ。輝夜の城のコール、絶対に正確にできるもん。

 

っと、そんな時間を過ごしていたのが6年前だったのだが、そのあとに続く時間は次世代のグループであるAqoursが齎してくれた最高の思い出の連続。とは言え、大学から卒業したところでいきなり金持ちになることなんて夢の夢であり、3rd埼玉と5thはフォロワーさんの好意のおかげで現地に行くことができ、それ以外(1st、2nd、函館UC、4th、アジアツアー、ラ!フェス、CYaRon! 1stまで)は全部地元のLVでの参加だった。また世界がコロナに襲われている今、大体のライブは在宅公演として生配信を観させていただいた。虹のシャッフルフェスや3rdも生配信だったなぁ。

また、ラ!シリーズ以外に、逢田梨香子さんのソロ活動のイベントも幾つか現地参戦いただいた(2019年バースデーイベント両部、with Us vol.1)し、2020年のバースデー生配信ももちろん拝見させていただいた。1stライブツアーの思い出が円盤由来で僅か全体の10%もないのがとてもとても残念ではあるが、仕方あるまい。

 

 

 

 

人は何故、現場に足を運びライブに参戦するのだろう?

 

円盤はともかく、コロナが原因で半強制的に流行らせられた生配信という文化。インターネット技術の発展により、様々な事情や考慮により現地参戦することを選ばなかったファンが、時間と基本の設備さえ備えていれば現地参戦の方々とほぼ同じ時間でライブを楽しめることができ、なんなら座席という運要素に囚われることなく、配信カメラによってアーティストの姿がよく捉えられている映像を楽しめたり、音量を自分で調節できたり、ライブのためにわざわざ移動時間や宿を確保する工夫をしなくても良いなどなど、そう言った利点が挙げられる。(そういえば2019年の逢田梨香子さんのバースデーイベント、昼の部は一階立ち見766番であって夜の部は一階二列というとんでもない経験をしたんだよなぁ…マジで昼の部の時はほぼ何も見えなかったぞ…笑)(with Us vol.1の時は3階だったし。たかいたかーい!)

 

オタク曰く、「帰るまでがライブ」。それはどういう意味かと考える時、やはり2019年の時の経験を元に推測すると、「ライブというパーフォマンス自体はもちろん、そのイベントの前後でのファン同士の交流もライブの一部だよ」ということだろう。クロヒョウ委員会ファンミという謎イベント、ライブ後の食事、急遽カラオケ…ああもう、楽しいことばかり。えっ、メラドでの鬼ごっこ?そういえばそんな鬼畜イベントもあったなぁ。(震え声)

 

そう、それらこそが思い出の共有。アーティストが目当てでライブに参戦するのは当然至極のことだと6年前の自分はそう考えていて、その同時にあの頃の自分では手に入れられなかったことこそが「思い出の共有」。まぁ当時はツイッターもやってたから、SNS上思いを綴ること自体もある意味思い出の共有ではあるけれども、やはり体に刻まれる思い出に比べると遥かに物足りないーーというのは2019年の自分の結論だった。

 

2022年になった今。人は何故現地参戦するのだろう?

 

コロナによってかけられた観客人数の制限。ひどい時は無観客。だからこその無観客生配信。一海外ファンとして、生配信文化が流行ることはこれ以上のないありがたいことではあるし、上記に言及した在宅公演の良さやチケットの料金のことを考えると、生配信は本当に便利で便利で。期限内ならアーカイブを何度も観てもいいし、現地参加で見逃した瞬間をアーカイブで何度も再確認できるし。なにより日本に行けなくても、自分の部屋でライブ観戦できるという利点は本当本当に大きい。

 

 

なら人は何故、現地参戦に拘るのだろうか?

 

2020年から始まった嵐に揺れながら、今頃ファンの方々はもう気付いている、もしくは気付かされているはず。「観客の存在はいかに演者を支えているのか」。

私個人は昔ステージに立つ機会がそこそこあって、自分の経験から「観客がいないステージだと、おそらく演者は多少デバフ喰らうなぁ」と推測できたのだが、本質はおそらくもっと深いところにある。すなわち、

 

「思い出の共有」って、ファン同士のみではなく、ファンとアーティスト双方のことでもあるということーー

 

ーーという概念は、やはり当然至極であって、今更提唱することにあまり大きな意味はないなぁ、っとここで思う私である。

 

でもおそらく、昔に比べると、その概念は頭の隅ではなく、もっと大きな空間を占めているんじゃないかな。それこそ6年前の今日に、そんなこと微塵も考えていなかったし、Aqoursに関わり始めてそこそこ意識始めたとは言え、こうして改めて考えるきっかけを見つけていなかったなぁ。

 

だって、今になっては、現地に行きたくても行けない身になっているのだもん。

 

前述通り、生配信に数々の利点があり、「楽ちん!快適!経済的!」というインドアオタクにとってこれ以上のない素敵な特徴があっても、今でもいつになるかがわからない現地参戦を夢見ているんだ。

ファン同士との交流然り、アーティストを支持すること然り。

 

なんなら本当のことを言うと、こういうご時世ではなく、少し前の世界で生配信をやってくれていたら海外ファンとしてはとても喜ばしいことになったことに違いないが、条件が揃っているのであれば、きっと私は楽ちんよりも現場の暑さを選んでいる。ライブというイベントに、それだけの意義と価値があるのだから。

 

自分に、ファン同士に、演者に。

 

 

オタクだから、私は欲張りなんだ。

私だから、つい自分のことを現地ファンのスタンダードで見てしまうんだーー現地参戦できることが当たり前だと、つい錯覚してしまう。

 

だから仮に生配信があっても、きっと私は現地参戦できないことに悔やむ。

 

私は円盤よりもリアルタイムを求めてしまう、生配信よりも現場を求めてしまう、そんな身の程知らない海外オタクなんだから。

 

 

それがライブなんだ。

 

 

 

 

公演スケジュールに悩む君よ、きっと様々なことを考えて悩んでいるのだろう。

でもどうか忘れないで、その悩みは、君のオタクとしての幸せと恵みとも言えるものなのだ。

 

 

悩み重ねた最後に選んだ選択肢は、きっと君に適った結論だろうし、「私たちみたいなやつがいるから、無理しても参加してこい」みたいなことを言いたいわけじゃないけどね。

 

ただ願わくば、未来のどこかで会おう。

 

その時に出会える私はおそらく、もっとライブの意味を噛み締めているはず。

 

 

 

 

【FINE】