林檎好きの戯言ログ

気まぐれでしかブログ書きません。しかし毎回長い。

#終わらない夢見よう: 原初のキラキラ

 

9人の子供の中に、唯一「特別扱い」されている子がいた。

 

私の贔屓でそう見えるだけかもしれないが、そんな子がいた。

 

名前に「始まり」が込められた子。

 

 

 

どうも、林檎好きです。

 

Aqoursの5thまであとわずかだけど、せっかくだし、「#終わらない夢見よう」に少しだけ足を突っ込んでみたいと思う。

 

5th ライブにはおそらく劇場版の曲が披露されるのであろうと勝手に予想しているから、その劇場版についてほんの少しだけ私が視えたものを語りたいと思うが、言うまでもないーーいつもの推し語りだ。

 

考察しているつもりはないが、まぁこの話はたぶんその類なんだろう。許して欲しい。

 

 

さて、さっそくだが本題に入ろう。右下の子だ。

 

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劇場版との最初の対戦ではそこまで深く考えなかったが、2回目から徐々に考え始めた。

 

東京、音ノ木坂、ピアノ、作曲ーーこれらの特性を持つ桜内梨子は確かに最初から特別であり、「作曲」という「機能」を求めていた千歌ちゃんと曜ちゃんにとっては不可欠だったが、Aqoursに入って、千歌ちゃんの背中を支えたり、曜ちゃんと心を通わせたり、「作曲者」としての機能を発揮してからは、他の8人とは平等であっても良かったはずだ。

 

だけど。

 

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アニメ二期13話の重要アイテムーー千歌ちゃんが飛ばした紙飛行機は、よりにもよってこの子の足元に落ちた。

 

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小さかった3人は、本当はまだ出逢っていないはずだし、「μ‘s」とか「ラブライブ!」とかとか、そういう単語と概念に触れていすらいなかったはず。

 

なぜそこにいたのか。

 

なぜこうも、単独のシーンが多かったのか。

 

なぜ、こう問いかけたのか。

 

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「これ、あなたの?」

 

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「もっと遠くへ飛ばせる?」

 

紙飛行機についての質問に聞こえるが、別のレンズを通して見てみたら、この質問はたしかに、この子からしか問いかけることはなかったのかもしれない。

 

桜内梨子は、音ノ木坂に在学していた頃、ピアノで挫折してしまい、課せられた期待を背にして、内浦にやってきた。

 

千歌ちゃんに見つけられた時は、おそらくちょうど葛藤に苦しめられていた頃で、必死だった頃で、前しか見えていなかったのだろうし、諦めの悪さでまた海の音を探そうとしていた。

 

そのあと千歌ちゃんが知ったのは、作曲するピアニストとしての桜内梨子の葛藤、後悔、そして後ろ向きの希望だった。「皆を笑顔にするのがスクールアイドル」という信念を元に、千歌ちゃんは桜内梨子に手を差し伸べ、そのきっかけに桜内梨子は「スクールアイドル」という新たな定義を自身に取り込み、走り出した。

 

アニメ一期を通じて、桜内梨子とピアノのエピソードは割と丁寧に描かれていて、それ故に桜内梨子はもう一人の主人公にも見える時があったし、二期の12話で「スクールアイドルをやりたい!」という心の叫びから、桜内梨子の心境の変化や成長を垣間見ることができた。

 

ここまで来て、桜内梨子は確かにAqoursのメンバーというポジションに立ち、ほかの8人と駆け抜けて行ったのだ。

 

だが、それだけでは子供の頃の桜内梨子ちゃんが劇場版での特別扱いを説明しきれないーー劇場版の冒頭のシーンといい、浦女から戻り、再び砂浜に集まり、「千歌ちゃんに向かい、砂浜に立つ7人」と完全に別の、「千歌ちゃんの後ろ、そしてほんの少し上に立ち、優しく微笑む一人」というポジションにいたこといい。

 

東京から来たからかい?あのμ’sがいた音ノ木坂に在学していたからかい?作曲担当だったからかい?

 

これらの特徴だけでは説明できない気がするから、敢えて小さかった梨子ちゃんに逢いに行こう。

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「梨子ちゃん、とっても上手ね」

「だって、ピアノを弾いていると空を飛んでいるみたいなの、自分がキラキラになるの!お星様みたいに!」

 

アニメ一期2話の回想シーンでは、梨子ちゃんはこんなことを言ったのだが、「キラキラ」という言葉を、まだ形があやふやではあるが確実に存在している「輝き」と捉えて、上記のセリフは「ピアノを弾いていると輝くの」というニュアンスの言葉になる。

 

Aqours、もとい、ラブライブ!は「輝きを求める物語」であり、千歌ちゃんが叫んだあの言葉はまさしくそれを表している。

 

「輝きたい!」

 

気づいていようがいないが、誰もが輝きを求め、その過程に「スクールアイドル」という概念に出会い、それに通して輝きを見つけたのだが、その中、桜内梨子はおそらく微妙に違うところに立っている。

 

「輝き」を知っていて、途中で無くした。

 

私はこれが桜内梨子の独立性を築く最大の特性だと思っている。

 

実際、同じく小さい頃からある意味「輝いていた」子ーー高飛びが得意の渡辺曜もいるのだが、桜内梨子との違いは

 

1. 高飛びで大きな挫折に遭ったことはない、もしくはその描写がない

2. 小さい頃に「輝き」、「キラキラ」という概念と言葉を明確に掴めていなかった、もしくはその描写がない

 

描写がないだけであれば、このベクトルではおそらく梨子ちゃんと同じポジションにいることになるのだが、もし描写の有無と関係なければ、

 

最初から輝きを知っていて、その上一度それを無くし、そのあと取り戻した子は、桜内梨子だけになる。

 

輝きを求めていたAqoursは、最初ではただ風に乗る紙飛行機であり、嵐の日々にも晴れの日々に懸命に浮遊していたのだが、最終的に見事に羽ばたく方法を知る鳥になったわけだが、その過程で繰り返していた疑問は「輝きって、何だろう」。

 

それなら、(無自覚ではあるが)最初に輝きを知っていた桜内梨子だからこそ、口にできる言葉があったのだろう。

 

輝きの正体、Aqoursの「未来」を知る、Aqoursの原初の輝きとして。

 

「もっと遠くへ飛ばせる?」

 

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このレンズで見ると、おそらく劇場版の子供の頃の桜内梨子は、「Aqours」のシルエットかもしれない。

 

そんな子が大きくなって、挫折してしまい、そのあと仲間に出会い過去を乗り越え、大事な居場所ができたことに対して、私はそれをどうしようもなく愛おしく思う。

 

今がどんなに挫折に遭っても、いつかの未来に、きっと過去に問いかけるのだろう。

 

「もっと行けるかい?」「もっと頑張れるかい?」

 

「未来」を知っているから。

 

 

 

 

 

 

最後に、どうでもいい個人の話を。

 

今回はありがたいことに、一年ぶりにメットライフドームに降臨することができ、Aqoursに逢いに行けることになった。

 

2018年にいろんなことがあったのだが、こうして2019年も大好きなAqours、大好きな梨子ちゃん、大好きな逢田さんのために走っている。

 

フラスタにメッセージアルバム、そして5thの梨子ちゃんビーム企画(ぜひみんなでやろうね!)はもちろんだけど、リアルの方もボチボチとやっている。

 

別に私は何かデカイことを用意して5thに向かうことはないと思うが、とにかく全身全霊で、仲間と一緒に楽しみたいと思っている。

 

Aqoursに応じられるほどデカイ存在になってはいない。

 

でも、一緒に時間を共にすることができる。「今」を共有することができる。

 

5thの先に何かあるのかはまだわからないけど、でもずっと一緒に行きたいね。

 

終わらない素敵な物語を。

 

 

 

【FINE】