林檎好きの戯言ログ

気まぐれでしかブログ書きません。しかし毎回長い。

有限の中に無限を貫く「再生」の歌ーーLotus

「Lotus」の話をするとしよう。

 

「Lotus」という楽曲は3/31に発売される逢田梨香子さんの1stアルバム『Curtain raise』の収録曲であり、3/20に先行配信にてフルが解禁された。

https://Rikako-Aida.lnk.to/Lotus

 

Lotus

Lotus

  • provided courtesy of iTunes

  初めてRARARAdioで拝聴させて頂いた時の感想は「初作詞とは思えないクォリティーだなぁ」であって、その原因は彼女の言葉の選び方にあり、例としては「濁った水のようなこの心 誰か掬って 溢れる前に」にある心に関しての比喩がなかなかの想定外で、しかもその後に「救って」をもかけて「掬って」を使うことで、「救いを求める」という意味を大袈裟なく引き出したことが素晴らしいなぁと感じた。

ハスへの憧れを語ることで、楽曲の中の主役が「終わり」、「過去」と「時間」についての考え方やその成長を見せて、またその成長結果を求めていることを楽曲を通じて伝えるように見えたーー「動じない心」への憧れが、「限りある時間の中で自分を貫き明日へ向かう」という意思を解禁されたMV Short. Verから私は感じ取り、さらにフルバージョンでは全貌が見え、逢田さんの「時間」に対しての描写のバリエーションに驚くばかりだ。

 

この記事で私の「Lotus」の歌詞への解釈を語ってみよう。私の解釈=作詞者の伝えたかったことに限らないのだが、せっかく逢田さんが「受け取り側によってもいろいろ解釈とかもそれぞれだと思うので、皆さんに(歌詞を)解釈していただき受け取っていただけたら」とおしゃっていたから、今回は今までの「ノー歌詞語り」という原則を破り、好き勝手に語ってみよう。

 

 

Lotus:ハスに憧れる人間が時間と向き合う物語

 

一個一個の歌詞を細かく見る前に、まずは大筋を語ろう。

 

一番Aメロ、一番Bメロ、一番サビ、二番Aメロ、二番Bメロ、二番サビ、Cメロ、そして落ちサビによって構成されたこの楽曲はストーリー性が強いため、それに「起承転結」を嵌めることができ、このような構成が見られる。


起→一番Aメロ〜一番サビ(過去に戻らないことに嘆き、ハスへの憧れを語る)

承→二番Aメロ〜二番サビ (時間と思い出についての新しい発見によって成長し始める)

転→Cメロ(ハスに憧れることから生まれた意志に対しての肯定)

結→落ちサビ(一番サビの内容を肯定し、結論と解答として繰り返す)

 

「今」を「今」のままにできないことに嘆く人が、ハスの特性「再生」を見習うことで、過ぎて行く時間との向き合い方を学び、「全てが移り変わろうともまた始められる」ということに気付き、そのあと時間の両面性や「思い出」について考え、やがて思い出を他人に共有しつつ、今を大事にしながら未来へ歩き出す結論に至ったーー「Lotus」にあるのはおそらくそんな「当たり前」の物語であり、しかしながらその当たり前と向き合うべきだと語っているのではないかと私は考えている。

 

そんな大筋を前提にし、ここからは三つのキーワード、「時間」、「ハス」と「曲中の人物」に沿って、逢田さんの歌詞表現を見てみたいと思う。

 

 

1. 「時間」についての表現

 

この歌詞には過去や戻らない時間の描写が多く込められている。


憧れに似て 身を焦がすようで
伸ばすこの手をすり抜けてく


濁った水のようなこの心
誰か掬って 溢れる前に

 

時間が過ぎて行くのは鉄則であり、運命でもあり、変えられない事実である。どれほど楽しい瞬間も、どれほど苦しい時間も、次の瞬間が訪れる時に「過去」になってしまい、一瞬一瞬を捕まえることは理論上不可能なのだ。その「瞬間を捕まえる」ことに対して、逢田さんは「身を焦がす」をチョイスしたが、辞典を調べてみたところ、

 

激しく募る恋慕の情に、もだえ苦しむ。「かなわぬ恋に―・す」

-デジタル大辞泉
 

という結果が出ていて、また憧れは「理想とする物事に強く心が引かれること(デジタル大辞泉)」であり、それほど曲中の人が過去に愛着を持ち、それを求めてばかりではなにも得られなく、心もその失望によって濁ってしまうと、この歌詞が物語っていた。


もう少し、ほんの少しと求めても
虚しい程になにひとつと残らなくて

 

一番Bメロでも「過去を留める」ことが語られ、どれほど求めても何も残らないという事実を強調した。時間が過ぎて行き、全てが移り変わる事象が一番サビや落ちサビでも示された。

 

いつかすべて消え去って移り変ろうとも

 

ところが、二番段落では時間について新しい描写をも観測できる。

 

立ち止まっても過ぎ行く季節
どこか冷たく他人のようで


人に傷つき 苦しんでもまた
傷癒すのも同じ人で

 

ここで初めて「季節」という言葉が使われたのだが、これも時間であって、規模も「秒数」より大きく、さらに季節には天気と深く関係しており、受け取り側によって時間よりも季節に対しての感受性が大きいかもしれない。そんな季節が留まることなく、立ち止まる自分に情けをかけることもなく、ただただ過ぎて行くことをここで語られた。

 

しかし、ここからが面白いのだーーそんな季節を語る歌詞に続くのは、「人に傷つき 苦しんでもまた 傷癒すのも同じ人で」という歌詞であり、時間とハスが多く語られているこの楽曲でいきなり人間の両面性を語り出したのかと最初は思ったのだが、いざその前に置かれた「季節が他人のようで」の言葉をも加えて見てみると、もしかしたらここの「人」は実は「時間」の隠喩かもしれないと私は解釈している。

実際、過ごしていた時が楽しい時間だったら、それが過去になってしまうのが悲しくて、時にそれに傷つけられてしまうし、辛い時を過ごして心に深い傷が付けられたら、同じく流れて行く時間であっても、それが癒しになり、時間が経つとその痛みもどんどん和らがれて行く。それが時間の両面性であり、もしかしたらこの歌詞はそういう概念を基に作られたかもしれないと私は思う。


そんな両面性を見つけたあと、歌詞は引き続き時間を観察していた。

 

終わりあるからこそきっと愛おしくて

でもね、何故か時にそれを忘れてしまう

 

ここにも初めて出てきた単語があったのだが、「終わり」というのはある意味「時間は戻れない」ことを受け入れることであり、一番サビまでの段落はずっと過去に縋っていて、それを「終わりを拒絶する」ことだと捉えると、ここでははっきりと「終わり」と言い出したのは時間と正面に向き合い始めていることを描いているかもしれない。そして、その「終わり」を認めるからこそ、「今のこの瞬間を大切にしなきゃ」という気持ちに転換できたのではないかと考えている。

 

思い出はそっと寄り添いすぐそばで

眠るように 祈るように 

君のことを見つめて

 

 

ここの「思い出」も新しく出てきた単語であり、それが「今という瞬間の置き土産」とも考えられる。

過去にならない限り、脳はそれを記憶できなく、思い出にすることができない。逆にいうと、思い出こそが過去の断片であり、それを呼び起こすたびに、実際に過去に戻っているわけではないが、過去の出来事は思い出という形で今にいる自分に手を振っているのだ。

 

終わりを肯定し、思い出の価値を見つけ出した時、二番サビこそがその成長の結果を語る段落である。

 

 

想うほど遠ざかっていくこの瞬間

壊さぬように そっと誰かへ繋げ歩こう

“終わらないで”  もう少しだけ願うけど

遠い先でいつの日か知るだろう

永遠の中にある、切なさを

 

 

この段落では曲の中の人はもはや「今が過去になる」という事実から逃げることなく、逆に瞬間をどうすれば壊さないまま保存できるかと考え始め、その答えが「思い出を誰かへ繋げ、共有すること」に見える。終わりに対して今だに好ましく思っていないのだが、少なくとも思い出を作り、さらに他人と共有すれば、「瞬間」はもっと長く存在しつつけることが可能だと。

 

少しだけ別の話になるのだが、最近ツイッターで話題になっていた漫画「100日後に死ぬワニ」があって、私は最初から追っていたわけでなく、ただ3/20がワニの最期だけを把握しており、それでワニくんやツイッターにいる皆のことを見ていたのだが、まさかそれがきっかけに、ずっとイマイチわからなかった歌詞「永遠の中にある、切なさを」の真意をようやく少し把握できた。

 

ワニくんは確かに3/20に死んでしまったのだが、自分がその友達であるネズミくんだったらと想像してみたら、確かにもう二度とワニくんに会えないけど、一緒に過ごしてきた日々を思い出すと、その思い出の中でまたワニくんに会えると気付き、しかしそれが今ではもう叶わないという事実に対して胸が締め付けられた。また、あの漫画の多くの読者に記憶されている限り、ワニくんはみんなの心の中に生き続けて、ある意味「永遠」になったのではないかと私は考えている。それこそが、この楽曲によって語られていた、ずっと覚えられているという「永遠」の中に存在している「思い出と共にやってくる切なさ」なのかもしれないし、そんな描写であればとても繊細なものだなぁと私は感心していた。

 

ここまでは時間に関しての描写を見ていたのだが、次はハスに関しての描写を見て行こう。

 


2. ハスについての表現

 

ハスと言えば「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉なのだが、それはハスが湖沼・池を生息地としていながらも、その葉は超撥水性によって水に濡れることなく、さらにロータス効果で自浄作用が働き、表面についた水が水滴となり、泥・小さな昆虫・異物を絡み取り転がり落ちることで、ハスがずっと汚れられることなく綺麗なままにいられることから生まれた言葉だと思われる。開花時期も短く、早朝で咲き、午後過ぎに閉じるという特徴もある。

 

そのほかに「大賀ハス」という品種があって、それは古代のハスの実(約二千年前)が現代(1951年)で発掘され、そのあと発芽し開花することによって生まれた品種であり、なかなかロマンのある品種なのではないかと感じた。

 

歌詞の中では「これがハスだ」と明言している内容がないのだが、代わりに花の特性をなぞり、それに向けての憧れを映し出す言葉が所々にあった。

 

誰も汚せないものひとつ ただ強く
黒さえ白く塗り変えて 何度でも

 

この部分は割と明らかだと思うが、「黒さえ白く塗り替える」というのはハスの自浄作用をなぞっており、そこから「気高さ」と「再生」を連想させてくれて、さらに「何度でも」というフレーズでそれらを強調している。

 

実は一番Aメロにある「濁った水のようなこの心 誰か掬って 溢れる前に」についてフォロワーさんと話していたところ、フォロワーさんがその歌詞がハスの描写なのでは?と言い出し、それについて議論していたら、その一番Aメロがサビのこの部分とはいい対比になっているのではないかと結論した。

 

一番メロに使われた「濁った水」によって確かにハスに連想するのだが、ハス自身は水生植物であり、濁った水を掬ったらハスの成長を妨害してしまうことになる。また、ハスの自浄作用があれば、その「濁った水のような心」も自ら浄化することができるのではないかという推測から、サビのこの歌詞は確かにハスへの憧れであり、そしてそれを見習うことで「自分の意志でまた始める」ことを目指しているのではないかと考えている。


いつか全て消え去って移り変ろうとも
また始めよう もう一度 この場所で
人知れず咲いた、この花のように

 

この3行には時間の概念も書かれており、ここで私は大賀ハスのことを思い浮かんだーー二千年もの時間が経ったら、環境どころか、世界そのものが変わり、消え去ってもう二度と戻って来ない文明もあるのだけれど、それでも大賀ハスは発芽し咲き誇り、「再び始められた」。もちろん実際その意図があるかどうかはわからないが、大賀ハスは確かにその憧れと重なっている部分があり、過去を保存することができなくても、意志を持ち、今に向き合えたらいつでもまた始められる。開花時期が短く、午後になったら咲いたことにも気付いてもらえない、しかし確実に咲き誇ったあの花のように。

 

色鮮やかな花も そう、きっと

今日もどこかで生まれ変わって

 

ここにある「生まれ変わって」は「再生」に言い換えることができ、それもハスの自浄作用についての描写なのかもしれないと考えている。葉に雑物が付いていても、自浄作用によってそれを取り除き、また綺麗になることができる。また、「今日もどこかで」は一番サビと落ちサビにある「人知れず咲いた」の部分に対応している可能性があり、例え知られることがなくても、色鮮やかな花は自浄しよりいい自分を求め続けるのだろう。

 

3.曲中の人物についての表現

 

この楽曲の中では、曲中の人物は嘆くことから始まり、途中で変化し始め、最終的に成長し解答を得たと見える。この部分では二つの要点を見て行きたい。


a.二人称「君」の使い方


この楽曲にはあまり人称が使われていなく、せいぜい二人称「君」を二回使ったぐらいで、私はその「君」は曲中の人物自分自身を指していて、それで自問自答のような内容になっているのではないかと考えている。

 

二回使われた「君」はどっちもBメロにあり、それがいい対比になっていると思う。まずは一番Bメロなのだが、


もう少し、ほんの少しと求めても
虚しい程になにひとつと残らなくて


進んでく道示すのは自分だって
きっと君はもっと前に気づいてるよ 

そうでしょ?

 

 

前半の歌詞は「過去を求めてもなに一つ残らない」という事実を述べ、その後に「進んでく道示すのは自分だ」という解答を上げ、さらに「きっと君はもっと前に 気づいてるよ そうでしょ?」という問いかけを投げた。

これは「前進するきっかけは自分自身にある」ということを肯定する内容でありながらも、一番Aメロでは曲中の人物が迷っていて、救いと答えを求めているのに、そのすぐ後にある一番Bメロでいきなり「答えは自分にあるよ、気づいてるでしょ?」と言い出し、しかしそれは実際どういうことかを説明しなかった。解答が用意され、しかしその過程が謎のままの一番Bメロに対し、二番Bメロではヒントが提示されているように見えた。

 

終わりあるからこそきっと愛おしくて

でもね、何故か時にそれを忘れてしまう

思い出はそっと寄り添いすぐそばで

眠るように 祈るように 

君のことを見つめて

 

一番サビや二番Aメロの出来事があって、この二番Bメロはある意味中期レビューであって、そのレビューからヒントを見つけることができたーー「終わり」を認め、思い出の役割を見つける。中期レビューであることを前提し、私はここに使われている「君」が曲中の人物を指していて、一番Bメロの「君」にヒントを与えたのではないかと考えている。

 

b. 曲中の人物とハスの関係

 

逢田さんはこの楽曲を「ハスへの憧れを描いている内容になっている」と紹介していたのだが、その部分を一番表しているのが一番サビと落ちサビ。


誰も汚せないものひとつ ただ強く
黒さえ白く塗り変えて 何度でも
いつか全て消え去って移り変ろうとも
また始めよう もう一度 この場所で
人知れず咲いた、この花のように

 

同じ歌詞になっていても、一番サビと落ちサビはそれぞれ異なる効果をもたらしている。

一番サビではまだ迷っている人がハスの特性を述べており、そういう意味ではハスが主役であり、曲中の人物は受け身ポジションにいるのに見えて、後半の「いつか全て消え去って移り変わろうとも また始めよう もう一度 この場所で 人知れず咲いた、この花のように」のフレーズでは、ようやくその曲中の人物は前に出て、ハスを見習おうと語っていた。


落ちサビはこの曲を締める段落であって、楽曲の起承転結の「結」を担当している。ここでは曲中の人物は今までの段落の経験によって成長し、ようやく主役となり高らかに自分の結論を宣言した: 思い出によって生まれ変わり、今この瞬間を大切し、思い出を作って誰かと分け合えたら、例えそれが過去になってしまってもまだ断片として心に存在し続けて、それで自分もまた始められる。

 

「Lotus」という自我成長の楽曲

 

さて、歌詞について大いに語らせてもらったのだが、ここは楽曲以外のことを少し話してみよう。

 

この楽曲には自問自答の内容が入っており、自我成長の曲でもあると私は感じ取っているのだが、その理由は作詞者である逢田さんにもある。(4/3追記:4/3に公開された 『WHAT's IN? tokyo』のインタビュー記事にはそういうフシの内容が載せられた。*1


『My girl Vol.29』に載っていたインタビューでは逢田さんは初めて「Lotus」について話していて、この楽曲は逢田さんの初作詞の成果であることと、この歌詞に含まれている内容を明らかにした。「ハスの花言葉でもある気高さ、そして動じない心への憧れや、つい当たり前で忘れてしまうようなことをテーマにした」楽曲であり、「生きていられる時間が限られているから、今この瞬間を大切にしたい気持ちがある」とおしゃっていた。

 

これらは逢田さんが初めて口にした言葉ではなく、また逢田さんもおそらく「終わり」にたいしては寂しいと思うような人なのではないかと私は思っている。例えばAqours 5thのメイキングでは「ライブが始まっちゃうと終わっちゃうよ」とおしゃっていて、またクリスマスプレゼントに関しては「開封前の時間が一番ワクワクする。開封したらもう終わったなぁと」とラジオで言及したこともあり、これらはインタビューで話していた内容と一致しているーー終わりをあまり好ましく思わず、そして一瞬一瞬を大切にしたい気持ちがある。このため、もしかしたら「Lotus」という楽曲は逢田さん自身にとっても自我観測、そして自我成長の曲でもあって、「今を大切にしよう」とご自分に、そして「Lotus」を聴いている方々に改めて伝えようとしているかも知れない。

 

実際の所、『ラブライブ!』や『ラブライブ!サンシャイン‼︎』シリーズに触れてきた方々にとって、「今を大切にする」という概念にある程度親しみを感じているのではないのだろうか。どちらも「限りある時間の中に今を精一杯生きて、今を大切にしよう」というメッセージが強く伝わってきて、また「Lotus」にある「想うほど遠ざかっていくこの瞬間 壊さぬようにそっと誰かへ繋げ歩こう」という歌詞は、『ラブライブ!サンシャイン‼︎』劇場版にあるとあるシーンを思い出させてくれたーーAqoursが浦の星高等女学院の校舎の前に立ち、過去を惜しむ他の8人に対し、千歌ちゃんが「大丈夫、だって全部ここに残っているから」と笑うシーンを。そしてその結果、Aqoursラブライブ!大会を優勝したことによって、その存在や浦女、そして沼津がAqours以外の方々の心に残り、さらに劇場版の最後に登場する二人の女子はその伝承を受け、聖地とする場所で始めたいと願った。

 

そういう意味では、もしかしたら元から終わりに対していろいろと思う所あると思われる逢田さんに、『ラブライブ!』と『ラブライブ!サンシャイン‼︎』はなんらかのきっかけを与えたかもしれないが、これもあくまで推測の話であり、多くは語らないことにしよう。

 

最後に

 

実はこの「Lotus」についてあれこれ語る文章は発売の後に歌詞カードを確認しながらゆっくりと書く予定だったのだが、3/25の特番にどうやら楽曲解説が行われるらしいので、あえてそれに間に合わせるために書き上げた。

 

創作者から自ら解説してもらえる幸せを味わうことはなかなかないからこそ、答え合わせが来るかも知れない未来に、まずは自分の解釈をも用意してみたいと思った。結局特番ではそこまで解説がなかったのだが、4/2に発表されたこちらのインタビュー記事に少しそういう「答え合わせ」が書かれていて、その内容だけでなく、逢田さんの思いがもたくさん語られた素敵な記事なのでぜひご一読を。

 

【インタビュー】「ファンのみんながいるから、私は今存在できている」逢田梨香子が咲かせる花 - ライブドアニュース

 

とは言え、この当たり前のことを語る楽曲が大好きなのは本当だ。初作詞の作品でこういう明るいとは言えないテーマを選んだのは実に面白く、だからこそ余計に心に染みるーー今が過去になることを恐れず、今を大切にして、前へ進もう、と。

 

かけがえのないメッセージをこの楽曲からもらったなぁ。

 

【FINE】

 

(追記: 3/22に書き上げたこの記事は、本来私が主催している『Curtain raise幕間企画』に出す内容であり、4/8に投稿する予定だったのだが、上述のように3/25のニコ生特番が原因で早めに書き終わり、一時的に公開されたこともあり、それならアルバムがリリースされた後に内容の修正・修訂・追加、もしくは別の投稿を用意することも視野内に入れていた。その結果、歌詞表記の修正やリリース後に公開されたインタビュー記事のURLを追加したのだが、解釈内容の修正・修訂・追加は行われていない。)

 

Curtain raise 初回限定盤A

Curtain raise 初回限定盤A

  • アーティスト:逢田梨香子
  • 発売日: 2020/03/31
  • メディア: CD
 
Curtain raise 初回限定盤B

Curtain raise 初回限定盤B

  • アーティスト:逢田梨香子
  • 発売日: 2020/03/31
  • メディア: CD
 
Curtain raise 通常盤

Curtain raise 通常盤

  • アーティスト:逢田梨香子
  • 発売日: 2020/03/31
  • メディア: CD
 

 

 

 

 

*1:「(<進んでいく道示すのは自分だって きっと君はもっと前に気づいてるよ>と過去の自分に問いかけるような言葉もありますね。) そうですね。昔の自分に対しての問いかけもあります。20歳前後は悩んでいた時期もあったので……。」"逢田梨香子、不安だったソロ歌手デビューから「ガラッと変わった」 表現への欲求にめざめた1stアルバム語る | WHAT's IN? tokyo". WHAT's IN? tokyo. https://tokyo.whatsin.jp/591479/ , 2020年4月3日更新( 最終閲覧日:2020年4月6日)