林檎好きの戯言ログ

気まぐれでしかブログ書きません。しかし毎回長い。

短メモ:「奇跡」とか、簡単に言わないで。

これは私のわがままであり、「奇跡」という言葉、あるいは「言い方」に対しての否定。

 

梨子ちゃん推しのフォロワーさんとDMで1stライブの『想いよひとつになれ』について話していたら、向こうはこう言った。

 

想いよひとつになれ」は紛れもなくAqoursの奇跡だ。あの時にサイリウム企画とかそういうものが一切なく、Aqoursの最も「無添加」なライブで、それでも全員「無意識」にペンライトをサクラピンクにした。だから僕はずっと「奇跡ならもう見た」と言ってきたし、必ずあるとは限らないけどできればもう一度あの奇跡を現場で観たい。

 

それぐらい綺麗なものだったと心から思うし、私もいつかそのサクラピンクの海を見ることを、そしてその一雫になることを楽しみにしている。

 

想いよひとつになれ』はそれほどかけがえのない物だった。

しかしその同時に、やっぱり叫んだ。

 

想いよひとつになれ』は、奇跡なんかじゃないーー奇跡だなんて言って欲しくない。

 

 

 

 

ラブライブ!サンシャイン!!ではよく現れる言葉、「奇跡(キセキ)」。

 

キセキなら、「軌跡」とすることもできるしそれでいいと思うが、『想いよひとつになれ』に対して、「奇跡」という言葉は相応しくないと思うのだ。

 

Day 1といいDay 2といい、『想いよひとつになれ』の中では、

 

逢田梨香子さんのピアノは奇跡じゃない。

 

あの三カ月の中にやり遂げたものを、「奇跡」だと呼べるものだったのか?

 

サクラピンクの海は奇跡じゃない。

 

会場にいた三万人に、全国LVと海外LV参戦した無数の方々の想いがひとつになった結果を、「奇跡」だと呼べるものだったのか?

 

Aqours自身も奇跡じゃない。

 

出逢いはたしかに偶然か運命なのもしれないが、でもそれ以外のものを、それ以外の時間を全て「奇跡」と呼んでいいものなのか?

 

想いよひとつになれ』が呼び起こしたウェイブは、人間誰しも持っているもっとも原初的な感情と本能ーー支えようとする精神、それを光と声と熱に転換する行動力、それら全てを呼び起こしたのは、「好き」、もしくは「関心」、または「アイ」という本能的な気持ちであり、その気持ちも決して奇跡じゃない。

 

Aqoursにも、君にも、そして私にも、「奇跡」を呼び起こす力があって、しかしその力自身は「奇跡」じゃない。

 

軽率に、自分たちの持っている力を、Aqoursの歩みと力を、「奇跡」だと舐めないで。