「自分の輝き見つけて」ーー生存報告と宣戦布告。
久々にブログを書いているけど、とりあえず大事なことを最初に伝えておく。
生きているよ。
2018年もそろそろ終わってしまい、幸せがたくさんの一年になっているが、思わぬ形で最近いろんなことがあって、心配をかけてしまっている所もあると思い、申し訳ないなぁと思いつつ、今年を振り返り、最近の状況を少しだけ整理し、近況報告を兼ねて、これからの話をもしようと思う。
まずは軽く振り返りから。
「逢」に満ちた2018年
今年の推し事は、1月5日から始まり、そこからいろんな出逢いが回り出し、たくさんの巡り合いに出逢い、思えば幸せがたくさんの一年だった。
初の推し宛フラスタイラストや楽屋花イラスト担当や、初の推し単独イベントフラスタイラスト担当。
初のAqours現場参戦に、初の「林檎好きのフォロワーさん」とのエンカ。
海外勢として、初のワールドバルーンフラスタへの手伝い。
初のコラボレーション企画で共同作業で曲を出させていただいたことも。
初のはてなブログや、前は拒否していた界隈に踏み込んだことや、初めての一人日本旅。
きっかけをくれたフォロワーさん、背中を押してくれたフォロワーさん、「すごい!」っと言ってくれたフォロワーさん。そんな方々がいたから、たくさんの「好き」ができて、たくさんの「夢」を見ることもできて、そんな時間の中で「好き」を「輝き」に変換できた気がする。
「この出会いがみんなを変えるかな」
それは、ラブライブとAqoursにだけではなく、みんなにも出会えたから、私自身も変われた気がする。
そして、リアルの方もまた、自分が今までやってきた勉強の中で一番楽しいと、一番有意義な学位を無事に取ることができて、ようやく「音楽」の文学修士学位を取得し、そのほか「楽しい!!!!」と思えた仕事にも出逢えたのだが、今思うと、これらはもしかしたらただのプロローグであり、それに関する話はまた後ほど。
とにかく「出逢い」と「初めて」に満ちた一年であり、自分の、そして他人のヒカリが賑やかに、この一年を照らしていた。
「今」を生き抜くたたかい
そんな輝きが降り注ぐ一年に、実は推し事をしていると同時に就職活動をしていて、11月1日に正式に正社員になり、今の会社を通うことになった。
この仕事は、私の「中文およびバイリンガル」学士学位を活かす仕事であり、翻訳と校正がメインになっている仕事だが、会社員が少ないかついろんな問い合わせが日々来ているからか、速いペースになかなか追いつけていなくて、「完璧主義」という特徴がここでは欠点になってしまっている。(そもそも自分は本当に完璧主義なのかどうかはわからないが)
ぶっちゃけそれだけなら、慣れるまで頑張ればなんとかなることなのだが、今目の前に立ちふさがる壁は、他の誰でもなく、この会社の社長だ。
思ったことを真っ直ぐに言う人なら、私は知っているし、それはそれで性格なんだろうなぁと納得するけど、文字で生きる会社であるだけに、言葉遣いを本当に大切にしてほしいものだ。
働いて一ヶ月半、すでに毎日「辞めたい」と思う自分にも誤ちがあるかもしれないが、「この会社と会社の社長との相性が最悪」と、直感が日々叫んでいた。
速いペースなら頑張って追いつくし、足りないものなら頑張って掴む。そんな成長をさせてくれる空間と時間があれば、私もきっと今よりはもっと会社の役に立てたのだろう。
しかし、今起きていることは、
1. わからないことがあって社長に聞いてみたら、「頭ぐらい使え!!」と言われたり、聞かないで今までのパターンを見て似たようなことをしたら「間違ってるぞ!わからないのなら聞け!」って怒られる
2. ケアレスミスを減らすために時間をかけてダブルチェックをすると「遅い!!」と怒られ、頑張って素早く片付けたらケアレスミスで怒られる
3. 上述の二つで「ここに仕事を勉強する気があんか?成長する意志がまるで見えないぞ」と言われる
4. コミュニケーションのスタイルの違いで、仕事の話をしたら5秒で「わけわからんこと言うな」って言われて他の同僚を呼んでまったく同じ話を同僚にさせる
そんなことが毎日起きて、ほぼ毎日怒られて、自信が消えてしまい、心の余裕がなくなり、毎日が辛くて、毎日がしんどくて、毎日に「この仕事を辞めたい」という考えが溢れ止まなくなった。
頑張りたくないわけじゃないし、確かに私にも問題があった。しかしそんな環境の中で、どれほど頑張っても、追いつける気がしないし、怒られて心が折れて、頑張れる気がしなくなったのは、半ヶ月前のことだった。
そもそもこの仕事を決めた原因は、安定の給料をもらい、仕事以外の時間を好きなことに使いたいからと、「地獄のような仕事現場だとわかりながら、己を成長させたい」からだったが、今のように毎日逃げたくなっているのは、ある意味「初志貫徹」という理念に叛いているとわかっているが、
仕事以外の時間が全部仕事の心配をしている時点で、おそらくそれほど心の余裕がなくなっているということで、そんな状態でモノつくりとかは、到底無理な話だ。
直感で、「このままでは死ぬ」と感じて、「この仕事を辞めて他の仕事に移る」という答えを導き出した。
親には、最初は「まだ慣れていないだけでしょう?頑張れ」って言われていたが、今までのことを話して、ようやく「わかった。その方向で行こう」と頷いてくれて、正直とてもありがたいことだ。
決して悪くない給料だが、心と体を死なせるわけにはいかないし、好きな自分にまたなりたいと、強く思っている。
生きるために、私は飛び出し、闘いに行く。
「自分の輝き見つけて」
長井崎中に訪問した時に逢田梨香子さんがおしゃった言葉、「自分の輝き見つけて」。
辛い毎日を過ごしているあいだに、私はその言葉を何度も頭の中に再生させた。
自分の輝きってなんだろう、っと思考迷路に入り込んだ。
輝くことは楽しむことであれば、おそらく会社で働いている私は、今では無色、無光になり下げてしまっていて、そんな自分がたまらなく嫌だ。
自分の輝きって、なんだろう。
おそらく、今の仕事をしていて、一番ありがたいことは、そんな極端な環境の中で、ようやく目を背けないで、真っ直ぐに自分を見つめ、自分の真実を口に出し、周りに宣言し、生き残るために行動を起こすことができたこと。
最初からあったんだよ、答えが。
「音楽」。
中学の頃に「趣味を仕事にしたくない」と言い切って、そのため当時は音楽関連で進学することを視野に入れなかった。
でも今ならわかる。
好きなことを、得意分野を仕事にするのは、生きるために、そして輝くためにあると。
今の仕事から離れるために、一生懸命音楽の仕事を探して、それについて調べていて、そんな過程から得たものは、「どんな資格が必要なのか」、「どんな試験を受けたらより動きやすいのか」、「何をすればより音楽に近付けられるのか」、それらの知識だ。
調べれば調べるほど、やりたいことが増えてきて、面白い!と思うこともあった。
どうやら私は、やっぱりこうじゃなきゃダメなんだ。
「別に音楽にこだわらなくてもいいじゃないか。あんたの能力ならきっと他の仕事もできると思うし、今回は運悪く相性最悪な会社に入っただけだろう?」と、親の言葉に確かに一理はあったが、それでも考えれば考えるほど、
音楽が好きのなら、音楽が得意分野なら、その道を選ばない理由なんてどこにもない。
というか、小学校からピアノをやってて、中学校からは合唱団をもやってて、大学ではさらに合唱団の委員にもなって、楽譜書きの仕事や、尊敬している指揮者さんの仕事の手伝いもして、幼い頃からずっとやってきたことだから、余計にそれを仕事にしないのがバカだなぁと今は思ってる。
もう言い訳はしない、もうこれ以上引き伸ばさない。
自分の輝きである「音楽」で生きたい。ピアノ先生も、作曲も、パーフォマンスも、ただの楽譜書きだとしても、それが音楽である以上、私はそれに向けて進むのみ。
どうやら私の中では、もはや輝きは輝きだけじゃない。
人は生きるために、自分の輝きを持ち、輝くために人は生きると、最近はなんとなく思った。
ヒカリ、ユウキ、ミライ
この記事は、2018年の振り返りと同時に、2018年の自分が、2019年の自分に向けた宣戦布告。
もう音楽から逃げない、もう周りの目を気にしない。
2019年を自分のトシにするために、ヒカリ出す。
ピアノ先生の仕事の応募はもちろんだけど、来たる作曲コンクールに、今度こそ参加するんだ。
結果がどうあれ、まずは動き出せ、そして輝くんだ。
受けたい試験を受けて、勉強したいことを勉強して。
あの人たちみたいに、自分の道で輝け。
あきらめないことが 夢への手ががりだと
今だから言ってもいいかな 言いたいね
迷いに揺れるこころ それでも前を向いて
やまない雨はないと走って来たよ
だからねサンシャイン 見上がれば熱い太陽
動いてないと探せない 休んでも止まらないで
夜が明けた空には 太陽…!
【FINE】