林檎好きの戯言ログ

気まぐれでしかブログ書きません。しかし毎回長い。

採用イベントの後に、私は夢を投げ出した。

お寿司を食べながら、今日参加した採用イベントを振り返ってみる。

 

具体的にどんな採用イベントかというと、芸術行政協会的な組織が主催した採用イベントであり、五つぐらいの芸術組織がこのイベントでは入職志望者との面接を行い即時採用するかを決める。

そのほかに、専門家と業者が経験談をしてくれる芸術行政についてのトークも行われ、まさしくザ・芸術行政漬けのイベントだった。

 

ちょうど私も音楽修士の授業では芸術行政を少しだけ齧ったことがあって、これもチャンスだと思い、前の会社の社長からの紹介を受けた瞬間このイベントに参加登録して、ダンス会社との面接を行ってきた。

 

 

んで、率直に結果から報告しようーー私は芸術行政の就職を諦めることにした。

 

何があったのか。

 

まず、今日のイベントに参加する組織は博物館の運営をする会社かダンス会社か、そういう類の会社であった。

 

ここまで読んで違和感を感じているのなら、君は林檎好きのことを知ってるということだ。

 

そう。ここまできて、音楽の二文字はどこにも見当たらないーー本イベントに参加している音楽と関わりがある会社は、一つもなかった。

 

それでも、「せっかく参加料払ったし、ちょっと一つぐらい面接に行ってみようよ」という、「オカンの実際に言ってないけど絶対そう言う」意見を元にして無理矢理にダンスの会社との面接に行ってきたけど、予想通り結果はイマイチだったし、何より私自身もその会社の中に働いている自分を想像できないという現実の再確認ができた。

 

ただ、無駄に真面目で無駄にプライドが高いし、今までの会社の仕事は向こうから誘ってもらってたから、今日のこの結果でガチ落ち込む自分がいるし、先日に行われた楽団の芸術行政のテストもしくじったことがあって、「早く仕事を見つけたいのに...」と焦っている部分もあって、いよいよと追い詰められている感を感じてきた。

 

その時に、ちょうど次のトークがもうすぐ始まり、再び「参加料払ったし」という考えで重くなった足を会場に運んで、スマホをいじりながら「芸術、夢と生活」をテーマにしたトークをなんとなーく聞いてた、あまり期待を胸に抱えていない状態で。

 

そしたら、ある概念に出逢えた。

 

夢は案外そんなデガイものじゃない」。

 

夢を仕事にすることってどういうことなんだろう。

 

中学からアニメと声優をハマっていた私には、「好きなアーティストさんに自分の作った曲を歌ってもらいたい」という「夢」がある。それは今でも抱え続けている想いで、しかし地理と生活とほかの事情も考えれば、どうやらかなり難しい夢ではあるらしい。

 

それでも私は、遠回しがしたくなくて、なんとかして音楽と関わりのある仕事を見つけて人脈を築きあげたいと思ったし、「好きなことならとことんやる自分がいるから、好きなことを仕事にしなきゃ」という考えも強くて、それではある意味かなり我儘な新卒(?)になっているということで、履歴書をばら撒くことにしていないのもそのためである。

 

音楽が好きだから音楽と関わりのある仕事じゃなきゃダメ、とか。

日本語が得意だから日本語の使える職場の方がいい、とか。

 

でも、夢って結局どういうものなんだろう。

 

あらゆるアーティストの協力してエキシビションやイベントを主催している講演者はこう言った。

 

「好きなことを夢のする人が多い時勢になっているし、そのことは間違ってないのだろう。俺の好きなことは、街の中でぼーっとして人間観察することだ。それなら、そんなことを満足にできる生活ができるようになるためにはどうすればいいのか考えるのもありじゃないか?」

 

私の好きなことは、音楽作りと絵描きで、アニメとスマホゲーム、そしてラブライブAqoursだ。

 

そう考えると、実は私の本当の夢は「家の中で好きなだけに好きなことをすること」なんじゃないかな?

 

「おいおいおいそれは誰も望むことなんだろう!」って言ってる人も少なくはないだろう、同意だ。

 

誰も好きなだけに好きなことをずっとやっていたいだろう。でもここで考えるべきなのは、「どうすればそれを実行できるか」ということなんじゃないか。

 

少し余裕がある程度の生活ができるようになるために、平日で仕事をパパッと終わらせて、週末では好きなことを好きなだけにやる。Aqours逢田梨香子さんのイベントに行けるように週末は休みできるようにする。

 

曲もイラストもどんだけ描いても怒られない、推し事をどんだけやっても怒られない、いつか好きなアーティストに曲を歌ってもらえるためにとことん曲を作っても怒られない生活。

 

それこそが私の本当の夢だったかもしれないし、それを実行できるために私は必ず芸術と関わりのある仕事に着くべきなのか?

 

「本当に好きだったら、本当の夢だったら、それらと関わりのない仕事をやっていても夢と好きなことを忘れる事はないはずだ」と、講演者が言ってたこの言葉は、たぶん信じていいと思う。

 

だから「否だ」、と今は答えられるかもしれない。

 

その結論に辿り着いた瞬間、世界がパッと広くなった気がした。

 

 

 

実はこの採用イベントに参加する前にいつもよりストレスを感じてしまい、昨夜から若干息苦しくなり、今朝で泣きそうになっていてAqoursの曲はしばらく封印だと決めたけど、その中では一番聴きたくない「勇気はどこに?君の胸に!」の歌詞を、今ではもう一個の意味が聞こえてきた。

 

「ダメならまだ次のチャンスを掴みに

駆け出して汗掻いて 諦めなきゃいいんだ」

 

「諦めなきゃいいんだ」という言葉に、実は少しストレスを感じてた。

 

「一体人間はどれほど『次の次』を耐えられるのだろう?諦めないで次の次の次を追いかけては、もし果てがなければどうするの?」っと、考えてたけど、

 

「夢と関わりのない仕事をしていても、夢を、好きなことを諦めなくていいんだ」、っと。

 

好きなことをやり続けられる日々があるのならそれでいいんだって。

 

「信じてあげなよ 君だけのチカラ

君が君であろうとしてるチカラ」

 

私を構成するのは、私の夢であり私の好きなこと。

作曲も歌も音楽もピアノもイラストも、心から好きだからやり続けてきて、それこそが私で、私のチカラ。

 

それらを信じてあげてもいいんだって。

 

夢は (夢は)

消えない (消えない)

消えない (夢が)」

 

自分の夢を、自分の好きを甘く見ないで、ということなんだね。

 

だからこのイベントを終えて、私は決めた。

 

平日では凡人、週末ではクリエイター、そんな生活できるようになりたい。そんな生活ができるように就活を続けたい。

 

私は夢を諦めていないし、これからも夢を追いかける。

 

みんなも暖かい目で見守ってくれたら、嬉しいです。メイ*>ノ_<リ 人

 

【FINE】

 

1年7ヶ月: 君のあの日の「想い」から、僕はようやく卒業した。

 君の中の「林檎好き」は、どんな人なんだ?

 

「ピアノの人」。

「イラストの人」。

「ヤバイ人」。

「フラスタの人」。

クロヒョウの人」。

「頭おかしい人」。

 

以上で嬉しさを覚えない言葉なんて一つもないし、たまには優しいフォロワーさんに「天才」とかも言われて、調子に乗っちゃうのが林檎好きだ。

 

特に音楽とピアノに関しては、誰にも負けないつもりで、いつもそれを己の誇りとし、傲慢に達するレベルまでには来ていると、自分にもわかっているのだ。

 

そんな自分には、頭上がらない存在がいるーーだからこそ、今日にあった出来事に少しだけ思う所があって、それに乗っかって傲慢の塊でしかない私にもあった、ほんのちょっとのいい話をお見せしたい。

 

 

 

2018年9月30日20時45分頃に、上のツイートに出逢い、胸に込み上げた感情があって、その名前に驚きを覚えた。

 

「懐かしい」。

 

それらの画像と、それらの画像がもたらす彼の日の想い出への「懐かしさ」とは、「はじめまして」なのだ。

 

今までまともに1st Day 2 Disk 4のあのシーンを直視できることもなく、両腕で頭抱えながらか膝を抱えながら観ていたのに、今日で口元を緩めて、「懐かしい」と呟けるようになったのだ。

 

思えば9月17日に行われた「ラブライブ三昧」で彼女自ら語ったことによって、「想いよひとつになれ」に対しての過敏反応が起きなくなったと、次週のフォロワーさんのツイキャスのBGMとして流れたソナタが耳に流れた瞬間から気付いたけど、「懐かしさ」を覚えるまでになったとは予想できなかった。

 

人生一番の衝撃を受けた事件だったから、あれは。

 

02・26・2017

Aqours 1st lovelive! ~Step! ZERO to ONE!!~二日目公演に、香港で友達とライブビューイングに参加した私は、あの瞬間に出逢ってしまった。

 

音が止まり、舞台が途切れた。

それでも立ち直り、光と夢を灯し、世界を繋いでみせた。

 

想いよひとつになれ。 

 

逢田梨香子

 

今でも覚えている。自分が初日にツイッターのネタバレを回避するためにフォロワーさんのキャスに参加し、その場で言い切った言葉を。

 

「一年もなければ、楽器経験のないりきゃこには、想いよひとつになれの演奏は無理で非現実的だ」

 

かなり初期の浦ラジで彼女自身が「楽器経験がない」と言及し、その言葉と私のピアノ経験をかけて、その結論を導き出した。

 

だからこそ、余計に心に来ていた。ぶっ飛ばされて行ってしまった。

私が「無理」だと言い切ったことを、彼女はやり遂げたーーそれだけならまだよかったけど、横浜アリーナにいた3万人の観客の前に、そして全世界のライブビューイングに参戦する方々の前に、途切れた音を再び繋げようとするその精神を。

あの5分ほどのパーフォマンスを築きあげた努力、情熱、覚悟、意識、あの5分の中に込めた勇気、意地。

 

「もう一度やり直すチャンスがあるのならやらなきゃ」。

 

自分とは一つしか差がない人が、あんなことを言えるのか。あんな覚悟ができているのか。あんな切り替えができたのか。あの、突発事態とそれに齎された恐怖による過呼吸している状態で。

 

自分の19年のピアノ歴を信じようとしなかった自分と違って、三ヶ月のピアノ歴を持ってAqoursの初めてのワンマンライブに全力をかけて挑んでくる人がいたのか。

  

 

この共感は、「ずっとピアノを弾いてきて、なのに最近になって上達できなくて楽しくなくなって来た」という共感は、私が梨子ちゃんに惹かれた原因であり、それと同時にまるで傷跡を舐め合っているような共感だった。

だからアニメ一期11話に過去を乗り越えて、楽しそうにピアノを演奏できた梨子ちゃんを見て心から嬉しいなぁと思ったし、あの話の後にはフォロワーさんには毎日「推しもがんばってるから、ピアノ練習頑張りなさい」っとリプを送ってもらっていた。

 

それでも、19年のピアノ歴だけでは対応できないピアノ試験を目の前にした自分は、ひたすら自分に怒っていた。

 

「どうしてうまくできないの?」「ここはそうじゃないでしょ!」「どうして上達できないの?」「馬鹿野郎!!!」

そんな言葉を自分に浴びらせた練習なんて、楽しいはずもなく、合格できるかどうかすらわからなくなってしまった。半年も準備していたのに、そんな練習しかできなければ練習もしたくなくなるし、残り半年もない準備期間をどう使えばいいのかすらわからない。

 

本当は諦めていたんだ、きっと。

 

でもーー

 

 火をつけてもらったんだ。

「あんなステージにでも立ち直れた人がいれば、三ヶ月であの程度ができる人がいるのなら、私の19年でなんとかできないわけがない!!!!!!!」

 

やっぱり19年が自負なんだなぁと自覚している同時に、それも事実だと思っている。

三ヶ月で一曲を3万人のためにに対して、

19年歴に一年の準備期間で、半時間以上の4曲をたった一人のために。

 

私にできない理由はないし、なによりあの覚悟と情熱を見届けた以上、彼女から輝きを受け取った以上、彼女のファンとして、私は私の道で、私の壁をぶち壊すしかない。

 

いや、ぶち壊してみせる。

 

あの衝撃を受けて一週間をかけてごちゃごちゃになった気持ちを消化し、私は練習を再開した。

 

失敗してもいい、やり直せばいいのだ。

今はできなくてもいい、きっとできるようになるって信じよう。

 

あのステージで輝くあの人が見せてくれたもの、あれを見て感じ取った物を、絶対に無駄にしない。

 

絶対に、勇気と覚悟を教えてくれたあの人に、いい報告をしなきゃ。

 

あの日に感じた辛さ、痛み、愛おしさを胸に抱き、これからのやるべきことを思いながら指を動かしたら、

 

練習が楽に、そして楽しくなってきた。

楽しくなってくることによって、私もようやく本当の意味でピアノの楽しみ方がわかるようになって、ピアノ先生にも驚かれたぐらいのスピードで全曲を仕上げられた。

 

 

そして、試験は2017年5月16日に行われ、その一ヶ月後に結果がわかった。

 

 

2016年10月では想像できなかった未来が訪れた。

 こんな怠け者に力入れてくれるピアノ先生にももちろん大感謝だけど、2017年2月26日の逢田梨香子さんに出逢えたからここまで来れたと、今まではいろんな方々には語ってきたし、もちろん逢田さんにはちゃんと手紙を書いて報告したと同時に最大限のお礼を言って来た。

 

本当にありがとう、って。

技術はピアノ先生から教わったものだけど、勇気と覚悟の意味を教えてくれたのはあなただったから、ありがとうって。

 

一区切りのつもりだった。

 

それでも、毎回あの出来事を思い出すと、あの映像を観ると、胸が痛くなるし直視できないままだった。

あのときのステージにいる彼女が経験してしまったのであろう感情と景色を想像したら、どうしても見つめられないままでいた。

 

soundcloud.com

「勇気の色」。私が一年かけて、あの日に感じ取った物を音で伝えようとして作り出した曲。

この曲を作って世に出したら、あのエピソードとは一区切りのつもりで、痛い、苦しい、‪‪怖い、悔しい…それらを歌にしてもなお、私は見つめられないまま、あの映像から逃げたいと思っていた。

 

泣いていたあなたを見たくなかった。悔しそうに涙を流していたあなたを見たくなかった。

見るたびに、胸が軋んで痛くなるから。

 

どうやら私の中では、その恐怖はまだ残っていた。

 

そう、9月17日のラブライブ三昧の、逢田梨香子さんが想いよひとつになれについて語ったあの時間に出逢った時までは。

 

1年七ヶ月の後に、またあの話が聞けるのは、ラブライブ三昧が放送されて逢田梨香子さんがゲストに出ると知った時から正直予想できて、またあの痛みを経験してしまうのかと少しだけ嘆いた。

 

でも違った。

 この曲は梨子ちゃんは歌っていなくて、八人の楽曲ですけど、実際にライブでピアノという形で参加させていただいて、それがすごくこう、いまだに気持ちに残るというか、歌詞に「大事な夢を追う時 大事な人がわかる」っていう歌詞があるんですけど、私も実際にこの曲に通して助けてくれたメンバーだったりとか、スタッフさんだったりとか、すごく大事なものにたくさん気づけたというか、大事なことをたくさん教えてもらったというか、なので歌ってはいないんですけど、本当に思い入れのある曲です。

                                 (逢田梨香子ラブライブ三昧)

 

真摯に、しかし穏やかに想いよひとつになれを語る逢田梨香子さんに、心がほっとした。

 

あの日の出来事で成長した人はたくさんいるのだろう、私をも含めて。

そして、きっとそれは本人にとっても成長のきっかけになったのだろう。

 

一年七ヶ月の後、こんな穏やかに語れるようになったのなら、きっともう大丈夫だろう、という謎の上から目線。

 

ほっとした、本当に。

 

だからだろうか、ようやく余裕ができて、9月30日にあの日の出来事の画像を見て、「懐かしい」と微笑んでいけるようになった。

 

2017年2月26日からのAqoursは、確かに大した成長を見せてくれたし、今ではもう、東京ドームというステージに向けて日々頑張っているのだろう。

でも私がなにより嬉しく思っているのは、あの日で挫けることがなく、むしろさらに燃え上がっていろんな挑戦をするようになった逢田梨香子さんがいることだ。

 

ファンとして嬉しいし、そんな彼女がいるから、彼女のファンだと言い張れるぐらいに自分も頑張らないと。

 

フラスタも、イラストも、音楽も、やりたい!!と叫んで、やろう!!と応じてくれた声とともにやり遂げた。

 

だったら次はリアルの生活の方だ。

 

あの日のあの瞬間に出逢えて、逢田梨香子さんという方に出逢えたから、今の私がいると、胸を張って言えるように。

 

1年七ヶ月、あの日の「想いよひとつになれ」から、私はようやく卒業ができた。

 

 

P.S. 2018年8月8日に、逢田梨香子生誕祭2018のお祝いとして、フォロワーさんと協力しバースデーソングを作ったんだが、歌詞・曲・歌・ストリングスはもちろん全身全霊で挑んだけど、ピアノアレンジは今回で初めて実際に楽譜に起こした形でアレンジした。私の19年のピアノ歴とセンスで少しでも恩返しできればなぁという想いを込めて。

そして密やかに、いつか、逢田さんが誰のためではなく自分のためにピアノを楽しめるようにという願いを。

www.nicovideo.jp

 

「目がー、目がぁーッ!!!」ーーステージ上の私の推しはネコ科だった。

前言

 

圧倒的猫派の私にとって、それは感極まるディスカバリーだった。

 

 

圧倒的犬派の我が推し、逢田梨香子さんは、2018年4月号ウルトラジャンプでの100の質問のコーナーにて、ご自分を「黒ヒョウ」だと例えたのだった。

 

しかも答えが太字になっていた(上のツイートの画像を参照)。ウルトラジャンプの編集部はその答えに、もしくはその答えを口にした逢田梨香子さんに衝撃を覚えていたのか、それともそんなことがなかったのか、今では知る術がないのであろう。

 

それでも当時その答えを見た私はソファから跳ね上がり、「うひゃあああああああ!!!」という奇声をあげてしまった、あまりの興奮に。幸い当時は親が出かけていて運良く白目向かれることはなかったのだが、お隣さんが在宅しているかどうかがわからない状況で奇声をあげるのは流石に失礼すぎた。反省はもちろんしていなかったのだけれども。

 

「それがどうした?ラブライブはどうした?」と思っていっらっしゃる方、わかります。

 

はっきり言ってそれがとても重要なのだ。

 

逢田梨香子さんは、黒ヒョウの目(時にはライオンの目)をしていて、そんなインタビューで本人が「黒ヒョウだ」と言っていたのを見て、興奮しない・跳ね上がらない・奇声上がらない理由なんてあるものか!

 

それに、だ。私が「逢田梨香子さんは黒ヒョウの目をしている」と気付いたきっかけはラブライブであり、それをアツく語らないのは、相手にーー逢田梨香子さんが好きな方々に、Aqoursが好きな人たちにも失礼さ。

 

この戯言記事を読んでいる君には、ぜひその黒ヒョウを見つけ出して欲しいのだ。

 

 

本題ーー逢田梨香子というネコ科

 

黒ヒョウはヒョウの黒変種にあたる動物であり、実際のところヒョウの生態とはそう変わらない、つまり毛の色以外はヒョウと同じ生物であり、「似てる」だけならそこまで「黒ヒョウ」にこだわる必要はなかったはず。

Blackleopard.JPG 

 (画像ソース:ヒョウ - Wikipedia

実際、私が初めて逢田梨香子さんの目=黒ヒョウの目と感じた瞬間は、2016年12月27日に行われたクリスマスライブで披露されたハミングフレンド、その中の一刹那のショットを見た時だったし、当時のお衣装は青空Jumping Heart=白と青系メインだったから、むしろ「白ヒョウじゃね?」って言われてもおかしくなかった。

 

というかそもそもの話、逢田梨香子さんの目は「猫目」、もしくは「ツリ目」でもなく、どっちかというとやや「タレ目」で、それはつまり逢田梨香子さんはナチュラルにヒョウに似ているわけではないのだ。(一枚二枚の画像を添付しようと思ってぐぐったらきゅん死したので自分でぐぐってください)

 

しかし、Aqours 2nd Lovelive Tour HAPPY PARTY TRAIN TOUR埼玉公演のコワレヤスキの映像に出会ってしまった。

 

そして気付いてしまったのだ。逢田梨香子さんの目が黒ヒョウみたいということは、彼女はそれだけ目で曲を、表情を、気持ちを強く語れる存在だということを。

 

 

2ndライブツアーでは、自分は海外ライブビューイングで神戸初日と埼玉初日にしか参加していなくて、ツアー当時ではコワレヤスキのライブパフォーマンスを観れなかったからこそ、ライブBDの試聴動画で実際にそのパフォーマンスを見た時の衝撃は空から猛獣が降って来て重力とともにその勢いに首がねじ曲げられたのに等しいものだった。

 

梨子ちゃんとはまったく違う、低くてクールな歌声ももちろんだけれど、何よりその両目、その「吠えるように歌う」表情;黒赤系をメインにしたお衣装を身にまとい、赤いライトと赤いバック映像を背にして高らかに叫ぶその姿。

 

逢田梨香子さん本人は、いろんなメディアではコワレヤスキがかなりお気に入りの一曲だとおっしゃっていて、彼女曰く、「普段のGuilty Kissの楽曲と違い、大人びた女性をイメージした楽曲」。その「好き」に突き動かされていたからか、コワレヤスキではいつもオーバードライブモードを発動し、黒きヒョウに変身してしまう。

 

目つきも、勢いも、声の色も。

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さらに、コワレヤスキだけでなく、ほかのクール系の楽曲の中でも黒ヒョウ(あるいはネコ科動物)を観測することができた。

 

たとえば、Daydream Warriorの間奏に、冷たい色をした照明の中に光る眼差し。

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目と表情で伝わる、「冷たさの中に隠された熱い炎」に、体はいつも震えてしまう。

 

さらに、Daydream Warriorとはセットでほぼ切り離せることがないスリリング・ワンウェイでは、こんな表情をも見せてくれた。

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キャストも観客もスリリングしちゃうこの曲では、誰もが内に秘めている熱気を一気に解放してしまい、この時の逢田梨香子さんの目つきはもはやライオンそのもの。

 f:id:rykisi6606:20180929155800j:imagehttps://animalbattles.wealthyblogs.com/wp-content/uploads/2018/01/lion-3049884_640.jpg

(画像ソース:ライオンが吠えるのはどんな時?

MCやニコ生でたまにぼーっとしたりもするけど、こういう熱い曲では一切の容赦がなく、目と表情で魅了してくることーー瞳で語る表現力が、逢田梨香子さんのステージ上での最大の武器の一つだと、これらのパーフォマンスを見て私は確信できた。

 

また、3rdライブツアーで初披露された君の瞳を巡る冒険でも、その表現力を十二分発揮してくれた。映像がまだないのは残念なのだが、ライブレポードとしてあげたイラストではなるべくそれを再現できるように、わざとそんな瞳にしてしまう自分がいた。

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それほど凄まじいものだった、逢田梨香子さんの瞳は。

それが好きで何度でも、逢田梨香子さんの姿に私の目が追ってしまうのだ。

何気に控えめの逢田梨香子さんがそんな目を見せてくれる時こそが、彼女の内側にある炎が表に出され、強く燃え上がっている証なのだ。 

 

推しがネコ科というのは、その表現力を具現化した結果だったと私は思う。

 

おまけ

最後に、おまけとして私が「推しはネコ科」と気付いた時からやってきた実験を少しだけお見せしよう。

 

 

 

 

twitter.com

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圧倒的猫派としては、これをずっと見ていたいね。

 

【FINE】

 

レビュースタァライト 10話ノート

初見してから引っかかったポイントまとめ。

 

A. 「私を覚えてくれて、私と私たちになってくれて、私をもう一度舞台少女にしてくれて」「私、変わっていない?」

 

この言葉の裏にありえそうな意味/原因:

 

1. 「神楽ひかり」は神楽ひかりじゃない誰か、もしくは別の世界線から来た神楽ひかり

→ループ説

*再演でループしてたバナナにそんな経験あったのかなかったのか(描写/ヒントはいまだになし)

*この場合、ループしても記憶は保有している(バナナで実証済み)

 

2.華恋の方が別人説

→「神楽ひかりと一緒にスタァライトする」という愛城華恋の記憶/願望を持つ/共有している誰かが「今の愛城華恋」を演じている(本人もそれが知らない)

 

3. 夢/走馬灯のなにか

→どっちかがなんらかの状態(瀕死?)で未来(過去)を観測

 

4. そもそも神楽ひかりという人間は最初から存在していない

→二人で一つ、運命をシェアしている

*最終的に消えてしまう泡沫?

 

5. ひかりは最初から結末知ってた

→ループ説

 

B. 1話と共通の、高校(今)のかれひかを観客席で観てるちびかれひか

 

1. 未来観測

2. 劇中劇

 

C. 東京タワーに近くにある公園でオーディションの着信(華恋は「メール」と言った)でちびひかりちゃんが現れた

 

1. 前述の「夢/走馬灯の何か」の説に辿ると、幼いひかりが未来を観測している可能性

*着信=夢から覚める=今のひかりが呼び戻される(消える)流れ

 

D. キリン「飛び入り参加された方がいらっしゃいまして、スケジュールの調整が必要となりました」→レビューデュエット ひかり「(華恋の方を見てからキリンを見て)特別扱い」

 

飛び入り参加とは:

1. 華恋の場合、初日のひかりvs純那戦に飛び入りの件

2. ひかりの場合、「日本のオーディション」を参加すること(=バナナの無限再演の真中に「飛び入り参加」?)

→2回目のオーディションの証明として青い上掛け?

 

なのでキリンが実際に特別扱いしているのは華恋のみ/華恋の方ではなく、ひかり/ひかりの方という可能性もある

 

ひかりが特別扱いされるような原因があれば

1. 1回目のオーディションから敗北しても(130g消えたとしても)オーディションに関する記憶が残っている

2. まだ煌めきが残ってる

*今まで敗北した舞台少女がただひたすら影として消えるだとしたらひかりは間違いなく特例

 

※しかし、不合格のスタァライト九九組のメンバーは普通に観客席にいるし記憶もまだ持っている

記憶が消えそうになったのはひかりだけ...?

 

E. 華恋とひかりが一緒に言った「アタシ、再生産」

 

1. 同一人物説

 

F. 華恋の変身で、王冠が燃料として投入された時ゲージが200ぐらいしかヒットしていなかった(前はMAXになったことあったのに)/造られたソードに錆が入ってる

 

1. 王冠=きらめきだと仮定すれば、華恋はもうすぐきらめきが尽きる?

→そこまで負けていないのに尽きる原因: ひかりに流れた説

*ひかりの8話のきらめきの再生産の代償?

*二人で一つのきらめき(運命)を共有している説

→この場合、どっちも共存できる方法はどっちにも同じ分のきらめきを守ること(=MAXじゃない=トップスターを諦めること)

*キリン「トップスターを育てるためには多少燃料が必要ですから」(8話)

 

F. 「あなたの輝きは奪えない、奪わせない」←ひかりがとどめを刺す

 

1. 「あなたの輝きは奪えない」→華恋のきらめきの状態

「(誰かに)奪わせない」→キリンに奪わせはしない?

 

つまり「キリンからそのきらめきを守る」ためにとどめを刺した?

 

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赤い星(星のティアラ)をバックにするひかり

→9話の歌劇スタァライトでは、フローラ(クロディーヌ)は星に触れようとして赤い星に目が焼かれた

→その結末から守るために華恋を負かして(本当に負け?)自分がその赤い星を望む

→そもそも星のティアラって本当に願望機?

*大場ナナ:再演

*ジュディ: 不明、しかしおそらく願いは叶った

 

 

短メモ: 「推しよ!シンフォギアへ来いッ!!!」と2016年から叫び続けて来た理由

6/17/2018の朝にシンフォギア(戦姫絶唱シンフォギアシリーズ)がプレキュアによってツイッターでトレンド入りになったのが話題になり、適合者の血が騒ぎ出す今日は実はAqours 3rd Live Tour 大阪公演の2日目。

 

よって、改めて2016年から逢田梨香子さん、シンフォギアへ来いッ!!!」っと叫び続けてきた理由を整理して叫びたいと思う。適合者らしいアツさで。

 

ぶっちゃけただ叫びたいだけで、今この文章書いている時のテンションはきっとおかしくなってるだけで後で読み返すといろいろと恥ずかしいと思っちゃうかもしれないけど、まぁまぁ。適合者らしいアツさでッ!

 

と言いながらも、理由を整理した所で、たった一つの大きな理由があるのに気付いたのだ。

 

それは、

 

「業界屈指の過酷と名高いシンフォギア現場に入り込むことで、元々ポテンシャルの化け物である推しによるさらなる化け物に成長する未来が観たいッ!!!!!!」

 

からだ。

 

ちなみに「業界屈指の過酷と名高いシンフォギア現場」というフレーズは、戦姫絶唱シンフォギアGXのCMで使われた言葉で、つまり公式認定

 

何が過酷というと、そりゃ私自身がその現場に居座ったことないから語れない部分も多いけど、とりあえず

 

1. Elements Gardenチームによる激アツ激ムズ曲の歌唱が要求される

2. 劇中の歌いながら戦闘シーンを実際にアフレコしながら歌うことが要求される(=CD音源使わずに、パンチなり斬撃なり砲撃なりとにかく闘いながら歌う)

3. オーディションを受ける際、演じるキャラクターに歌うシーンがあるかないかとは無関係に歌わされる(=選抜されたキャストは全員一定の歌唱力を所有している)

 

という三点が原因になっていると思う。

 

オーディションの段階からすでに地獄のような試練を乗り越えなければならないし、合格して自キャラに歌唱シーンがあればとりあえず物理的に殴りながら歌うことになりがち。

 

そしてご存知の通り、今のシンフォギアのキャストではメインキャスターとして悠木碧さん、水樹奈々さん、高垣彩陽さん、茅野愛衣さん、南條愛乃さんと日笠陽子さんが最前線で戦っているが、ヘッドホンが飛んだり、台本が飛んだり、「台本が邪魔だッ!」と叫んで台本を投げたり、熱くなりすぎてマイクにぶつかってしまったり、シンフォギアのアツさでさまざまな現象が起きる現場になっていた。悠木碧さん曰く、「シンフォギアはスポーツ」で、そんな悠木碧さんが現場に持って行くのはスポーツドリンクだったり、とにかく厳しいかつアツいッ!!現場になっていると、様々な話からその様子を覗くことができた。

 

そんな現場に入り込んだら、そして運が良く歌唱シーンがあったら、もう一切の手加減は許されないのであろう。

 

だからこそ余計に来て欲しい。推しにそんな現場に来てたっぷりと成長して欲しい。

 

闘いながら歌うというアフレコ形式はたしかに一期の頃監督の勘違い+天羽奏役の高山みなみさんが自らそのアフレコ形式をやり遂げて見せたことで今に至ってさらにいろいろアップグレードしながら続行してきたけど、その背中を見つめて、一番成長し続けてきた子、悠木碧さんを見て、

 

 

「推しにこんな風に成長して欲しい!!!!」

 

っと思わないではいられないのだ。

 

 

Aqoursの歌唱力トップはおそらく鈴木愛奈ちゃん、小林愛香ちゃん、そして高槻かなこちゃんだと皆で公認しているだろうけど、

 

私から見て、演技力と魂の熱さは、間違いなく逢田梨香子さんがトップなのだ。

 

上からの目線で本当に申し訳ないけど、今ではまだまだ未熟や不安定な部分があると思う。でも、だからこそだ。

 

その魂の熱さならきっとシンフォギアの現場に入り込んだって減ったりしない、むしろさらに燃え上がってしまうじゃないかな。

シンフォギアの曲はたしかにロック系が少ないけど、同じような、もしくはそれ以上の熱さを持つ曲はたくさんあって、きっといい化学反応が発生するじゃないかな。

 

そして、純粋に逢田梨香子さんのファンとして、一適合者として、一Aqoursファンとして。

 

来て欲しい、シンフォギアに。

シンフォギアに来てたっぷり成長して、そのポテンシャルを爆発させて、デガイ存在になって欲しいッ!!

(もちろん奈々さんが中学からずっと好きだった人間としては桜内家の共演をもっと増やして欲しいという思いはあります、はい)

 

シンフォギアは今まで無印、2期、3期、そして4期が完成され、2019年に5期が控えているのだが、5期の後に何があるのかはまだわからない。

 

だから今のうちに、2019年の5期キャスト発表にその名前がいない未来が待っていても、今のうちに熱く叫びたい。

 

逢田梨香子さん、シンフォギアへ来てくださいッ!!!」

After Aqours 3rd Saitama PART 2: Dialogue in Pianoforte 1st movement

前回のあらすじ

Aqoursでの推しーー逢田梨香子の「音楽力」について語るシリーズを始め、パート1では逢田さんのボーカルを見ていたけれど、要するに

 

  1. 初期にはなかった「フレーズの最後の跳ね(⤴︎)」の運用
  2. Aqours屈指の演技込めた歌唱
  3. ロックやかっこいい系になるとキャラクターを超えた化け物級パーフォマンス

という三つの特性が逢田さんの歌を構成していると見ていた。

他にもメロディーのフレジングの処理や裏声と地声の使い分け技術がその歌から観測することができ、その意味では逢田さんを「ポテンシャルの化け物」と言っても過言ではないと私は思っている。

 

詳しくは前の文章へどうぞ。 

ringojolno.hatenablog.com

 

さて、ここからは、ピアノという単語を元に、二つの話をしたいと思う。

  1. Pianoforte Monologueという「特例」
  2. ピアノ演奏とその他のことから視える耳の話

上述の二つの話はどっちもある意味ピアノと関連しており、それらを「1st movement」と「 2nd movement」に分けて、別々話したいと思う。

 

また、本来ならボーカルとピアノ演奏を別々にして語るべきだったと私も思っているのだが、ちょうどどっちもピアノと関係があったりなかったりするので、「『ピアノ』が何かを教えてくれる」というコンセプトを取りたいと思い、本記事は「1st movement」として「Pianoforte Monologueという『特例』」について語らせていただく所存。

 

またいつも通りのことだが、このシリーズは遊び程度の観測であり、戯言を「事実」だと勘違いしないように。

 

 Dialogue in Pianoforte 1st movement: 2.5次元の君たち

先日に行われた、Aqours 3rd lovelive! Tour ~WONDERFUL STORIES~埼玉公演で、桜内梨子のソロ曲「Pianoforte Monologue」はようやく披露された。

一逢田梨子推しとしては本当に待ちに待った5分間であり、現地でその初披露を見届けることができ、もはや「感動」とか「光栄」とか、そういう言葉では表せない気持ちがたくさんだった。

 

ステージ映像をバックにして、ピアノのメロディーとともに踊り出す。しなやかに伸ばし出す手とともに流れる音符の波。己の色に満ちた「空」に羽ばたく「輝き」と「想い」。

 

っと、もはや語彙力が頼りにできなくなったぐらい、「細かい部分はなぜか忘れてしまったけどあの5分間で作られた『世界』は未だに忘れていない」という矛盾も発生してしまうぐらい、幸せいっぱいな5分間だった。

 

しかし、実に面白いのだ、「Pianoforte Monologue」という「世界」は。

最初に試聴動画で聴かせてもらった時は、その1サビ分ですでに次元の「食い違い」を感じていたし、

前の「Pianoforte Monolgueの音楽的なあれこれ」の記事でもそれについて言及した。

 (一応はてなブログにも移植したのだが、evernoteの方をオススメする)

www.evernote.com

 

その記事は編曲・作曲視点でPianoforte Monologueを観察してあれこれについて語り出し、おまけの部分でで歌のことについて少しだけ触れさせたけど、

 

  1. 「歌っているのは誰だ」
「Pianoforte Monologue」の視聴動画が公開された日から、私はずっと疑問に持っていた。
歌詞の内容でどっちも連想できるというのは当たり前だけど、
そう思わせてくれたのは「Pianoforte Monologue」のボーカルの声質なのだ。
 
っとまぁこんな風に語らせた。
 
実際のステージを見て確信したのは、Pianoforte Monologueはある意味「二人分の固有結界」であり、そんな世界の中では「次元」という壁がないことだった。
 
何故そんな世界が出来上がったのかというと、それは表面的な要素と内面的な要素、どっちも原因になっているからと私は思う。
 
表面的な要素:外見(服装と髪型)、声、演出者=キャラクターを担当している声優本人
内面的な要素:アニメ1期10話から11話までの展開、及び1st Liveの時の、「想いよひとつになれ」の演出とそれに関係している出来事
 
内面的な要素についてはいざ語り始めるといろいろと制御できなくて本題から逸れてしまう恐れはありすぎるので、ここは「ボーカルの声質」について話したいと思う。
 
パート1(’After Aqours 3rd Saitama PART 1: Do Justice to Your 'GUILTY' Music’)では、逢田さんがラブライブ!サンシャイン‼︎での歌唱を二つのスタイル、「Aqoursとしての桜内梨子」と「Guilty Kissとしての逢田梨香子さん」に勝手に分けさせてもらったのだけれど、
 
そう、Pianoforte Monologueでの歌唱は、実は上述のスタイルに当てはまらないのだ。
 
怠け者モード全開で申し訳ないが、ここもやっぱり「Pianoforte Monolgueの音楽的なあれこれ」の内容を引用させてもらう。
 
桜内さんの歌声には甘味があり、その甘味をもっとも引き出せた曲はおそらく「Guilty Night, Guilty Kiss」であり、
例えば「Daydream Warrior」のようなかっこいい曲でも、桜内さん特有の甘味と切なさは薄くなったりはしなかった。
しかし、「Pianoforte Monologue」では、視聴動画公開分(一番サビまで)は珍しくそう聞こえなかった。
歌詞のせいでもあるかもしれないが、簡単に言うと「甘味」が薄い。
一番サビ以降は「甘味」が戻ってきて「桜内さんが戻ってきた」感があるが、なぜだろう。
 
本記事作成しながら改めてPianoforte Monologue(ボーカルオンニー)を聴いて確認したところ、やはりPianoforte Monologueを初めて聴いた頃と同じ感想を持ってしまう。
 
Pianoforte Monologueを歌っているのは、桜内梨子じゃない誰かだ。
 
そのような感想を持たせてしまう原因を自分なりに考えたみたが、まずはこの曲における歌唱の二つの特徴を見て行きたい。
 
1. 地声に近い歌唱
 
この前フォロワーさんと話していてみんなで頷いてたかつ本人も言及したことがあって、それは「逢田さんの声質は高くない」ことだった。
 
合唱団にはおおまかだけどソプラノ(女性高音部)、アルト(女性低音部)、テノール(男性高音部)とベース(男性低音部)4つのパートがあって、そのパート分けは団員の声質と直接に関係している。
ちょうど何年前自分は大学の合唱団の新入生オーディションで審査員をやらせていただいたことがあって、その時最初に行うのはパートの判定だったけど、しゃべりでだいたいはその声質といるべきパートを把握できて、その後にいろんな音を歌で届いてもらって、「どの範囲では歌声がもっとも響くのか」を聴いてから正式にパートを判定するという作業を行っていた。
 
個人的には逢田さんの地声だと、率直言うと一番好きの部類には入っていないが、キャラ声になるとかなり甘いや愛嬌のある声で、そこがとても好きだけど、そういう時はやっぱり役の声になるためにわざとトーンを高めにする必要があるのではないかと推測している。
かと言って特に低いわけでもなく、おそらく地声(たとえば個人ラジオ「逢田梨香子のまるごとりかこ」でのしゃべり)はやっぱり中音域にあるのではないかと自分は思うし、それだと歌唱もおそらく中音域がもっとも得意なんじゃないかなぁと推測したい所。
 
そんな逢田さんが担当している桜内梨子ちゃんの声は、少なくとも逢田さんの地声よりも高く、しかも甘みたっぷり。もうあざといと言われるほどの。好き。
 
余談だが、最近のCDドラマ(HAPPY PARTY TRAINあたり)と初期のCDドラマ(恋になりたいAQUARIUMあたり)を聴き比べてみると、初期のCDドラマの梨子ちゃんはありえないほど声が高いし微妙に色気を持っていたけど、逆に最近のCDドラマにいる梨子ちゃんは声の高さをも含めて、いろんな原因で「梨子ちゃんの皮をかぶった逢田さん」だと錯覚させてくれている。
 
 さて、Pianoforte Monologueの話に戻る。
 
Pianoforte Monologueのメロディーで使われた音と声区(または音高)については前も記事で言及したけど、簡単に言うとこの曲の音はどっちかっていうと「低い」方なのだ。
サビはともかく、AメロとBメロの範囲はあくまでC4(Middle Cとも呼ぶ)からB♭4で、しかもAメロ前半だとC4〜F4しか使われていなくて、割と低い方の音域になっている。
前述したように桜内梨子ちゃんの声は高い方で、その甘みと柔らかさを出すためには、どうもPianoforte Monologueの音域ではそれがとても難しいらしい。
正しく音をヒットさせるため、そして正しく「曲を歌う」ため、桜内梨子ちゃんの歌よりもどうしても地声寄りの歌になってしまうのではないかと私は思う。

2. 例の跳ねは健在 
 

みんな大好き跳ね⤴︎。

パート1ではたっぷりと語らせてもらったけど、Pianoforte Monologueにはその跳ねも存在していたのだが、やっぱり全体的に音域が低いから普段よりは少し出現回数が減った気がしなくもない。

しかし実際のところF4の音にでも跳ねを入れたところを見て、低い音=跳ね出せないというわけでもなさそうだ。

 そして前述の「地声に近い歌唱」にあわせてみると、跳ねが存在しても音域によって桜内感が半減されていることは、どうやら「跳ね=桜内梨子」にはならないらしい。跳ねによって色気が増えたのだが、肝心な「甘みと柔らかさ」は跳ねとあまり関係していないかもしれない。

そんな歌唱で歌われたPianoforte Monologueは、メインメロディーでは桜内梨子が見つからないし、どっちかっていうと歌い手の本音、つまり逢田さん自身がその歌の中に存在していると私は考えている。

 

しかし、それだと、ある意味まずいのだ。Pianoforte Monologueは、桜内梨子のソロ曲であり、桜内梨子のエピソードを語る曲だったはず。なのにどこにも桜内梨子が見つからなくて、代わりに逢田さんが表に出ているような歌になっていて、どうするものか。

 

上の疑問に答えるために、ここはシェフの身分を捨てて、とても意地悪な、もしくは残酷な言い方をすべきかもしれない。

 

桜内梨子ちゃんと似たような経験をした逢田さんだから、みんなはそれをあまり気にしていない、もしくは気にしないようにしているのだろう」。

 

1st live Day 1はともかく、Day 2はまさにそれだった。たとえそれが誰もが望まなかった、しかし誰もが感動に思ってしまった展開だったとしても。

そう、ここに来てようやく内面的な要素が動き出し、Pianoforte Monologueという「世界」を立ち上げて行き始めるのだ。

あのピアノ演奏があったから、Pianoforte Monologueの歌詞はまんまと逢田さんのエピソードにもはまるし、おそらくそれで自分は試聴動画を開いた時「違和感を感じた」よりも「歌っているのは誰だ」と困惑していたかもしれない。

 

「いや、違うだろう」ではなく、「梨子ちゃん…?いやでも逢田さん…?」だった。

 

と言いながら、実はボーカルオンニーで確認してみたところ、あるところに梨子ちゃんを「見つけた」のだ。

コーラス、またはバッキング・ボーカルに梨子ちゃんがいた。

「Pianoforte Monologueにいるとしたらそれはピアノだろ!」という主張には同意するし間違いないなぁと思いつつ、実はコーラスの方の音域が全然高くて、ちょうど梨子ちゃんの声を容易く「出せる」音域になっているし、何よりコーラス特有の息混じりの歌唱が梨子ちゃんっぽい甘みを出してくれているのだ。

これも不本意なのかもしれないし、「ただの妄想だろ」って言われたら正直認めよう。その通りだ。

だけどもし上述の主張で一回でも改めてその歌を聴いてみたら、おそらくかなり恐ろしい景色が見えるのだろう。

 

「逢田さんが表に歌っているのを、梨子ちゃんはコーラスとして支えてあげている」という景色。

 

とまぁ以上のアツすぎた語りから離れて、簡単にまとめよう。

まとめ

Pianoforte Monologueの音楽上の特点と、逢田さんの声の特性と、この前見届けたライブパフォーマンスについて考えて、そして上述の観点を踏まえて、私はこんな結論にたどり着いてしまった。

 

Pianoforte Monologueの歌唱は、不本意ながらも、逢田梨香子さんと桜内梨子ちゃん、二人分の歌なのだ。

 

そして、ライブパーフォマンスでのPianoforte Monologueは、完全に一つの「世界」になっていて、その「世界」こそが2.5次元だったかもしれない。

 

歌も外見も、曲も動きも、最後のセリフさえ次元の境界線が曖昧の世界。

 

サンシャインのソロ曲には2.5次元のエレメントが含まれている主張に私は頷いているのだが、
それは歌詞の話であり、ボーカルの表現はやはり別のこととして考えたほうがいいのだろうか。
もしくは私の中では最初から桜内梨子逢田梨香子の境界線がかなり曖昧になっているからか。
私の中の2.5次元は、もしかしてそういう意味だったかもしれない。

 

「Pianoforte Monolgueの音楽的なあれこれ」では私はこう語ったのだが、ライブパーフォマンスを通じて、自分の中ではほんの少し答えに近付けた気がする。

 

たとえそれが不本意、あるいは偶然が重なった結果だとしても。

 

Coming up next: After Aqours 3rd Saitama PART 2: Dialogue in pianoforte 2nd movement

 

After Aqours 3rd Saitama PART 1: Do Justice to Your 'GUILTY' Music 

前置き

いきなりだけど、とても悪いこと(というより、とても意地悪な文章を書くこと)にする。

 

Aqoursでの推しーー逢田梨香子の「音楽力」について語ります。

 

 最初は「音楽性」という言葉を使いたかったが、念のため調べてみた所、「音楽性」を語るには必ず「テクニック」が付いてくる、すなわち「音楽性=音楽センス」という意味で捉えられることもあるらしい。

 

しかし、もしかしたらここで語りたいのはそういうことよりも、単にAqoursでの逢田梨香子さんの音楽から見える逢田梨香子さんの音楽上の特性と、彼女の持っている力」について語っていきたいだけかもしれない。

 

もちろん「テクニック」と「センス」から避けることはない(むしろ避けられない)が、その「テクニック」と「センス」を中心に語りたいわけでもないし、なにより私自身はプロではなく、ましてや逢田梨香子さんが今までどんな音楽トレーニングをやってきたのかが知っているような人物でもないので、あえてちょっと曖昧なワーディングにしてしまった。

だからこれはいつも通りの戯言であり、100%本気にされたら困る、大いに困ってしまう。私はただのシェフ(逢田梨香子さんのファン)でしかないからね。

 

ちなみに「なぜこのタイミングで?」って言われると、

 

ーーそりゃ、1st、2nd、函館UCが終わり、そして3rdが始まったこの時点で、ようやく逢田梨香子さんの「ソロステージ」を見届けることができたから…というのは70%の嘘で、「単に逢田梨香子さんはどこまでできるのか」を、個人の視点で語ってみたかったからね。

 

君の音楽を巡る冒険ーーどこから探る?どう探る?

都合のいいことに、逢田梨香子さん(以下、逢田さん)の音楽を探るための材料は、Aqoursの他の8人より一個多い。

  1. ボーカル
  2. 楽器演奏(ピアノ)

ボーカルはCD音源とライブパーフォマンス、この二つから見ることができ、Aqoursの他のメンバーの音楽を見るのも基本そこからだと思うが、逢田さんの場合1st liveでのピアノ演奏も材料になる。 

ピアノについての話は、同じくピアノを弾く者としてほんの少しだけ視えたことを語り、そこから逢田さんの音楽力を少しだけ覗いてみたいと思う。

ちなみに自分のことを讃えてもらいたいのではなく、単に自分はどの条件を持って上述を見て行くのかと先に申告しておきたいのだけど、

この三つに頼って、遊び程度の観測を行いたいと思うが、もう一度言うと林檎好きはプロではございません。戯言を「事実」だと勘違いしないように。

 

また、おそらくかなり長い話になってしまうため、いくつのパートに分けて語らせていただく予定で、本文章はそのボーカルでの進化を語りたいと思う。

 

では、「この世界で遊ぼう」か。

 

君の歌は進化してるかい?ーー1stシングルからWATER BLUE NEW WORLDまで。 

まずはボーカルから逢田さんの歌の進化とその良さを語りたい。

 

逢田さんの歌については、個人的には三つの時期に分けられて、二つのスタイルに分けられる(ただし特例もあるが、それについては後日に触れる所存)。

 

時期:

  1. 1stシングル(君のこころは輝いてるかい?)〜 2ndシングル(恋になりたいAQUARIUM
  2. Strawberry Trapper 〜 アニメ一期 
  3. 3rdシングル(HAPPY PARTY TRAIN)・コワレヤスキ・Landing action Yeah!! 〜 アニメ二期

スタイル:

  1. Aqoursとしての桜内梨子
  2.  Guilty Kissとしての逢田梨香子

 

まずは時期の話。

気付いている、もしくはご存知している方もいると思うが、逢田さんの歌のスタイルはAqours9人の曲の中で目立っている一つの特徴、「フレーズの最後の跳ね(⤴︎)」があるのだ。他のメンバーの歌からにもたまにはその跳ねが観測できるが、逢田さんの歌では特にそれが強く、いわゆる「目印」になっている所がある。

その跳ねについては、一部のファン(正確に言うと、中国勢の所)のあいだでは結構話題になっていて、それを癖だと言い嗤うこともある。

1stシングル(君のこころは輝いてるかい?)と2ndシングル(恋になりたいAQUARIUM)のあいだには半年ぐらいの時間が空いており、この「初期」における最大の特徴は、上述の「跳ね」が存在していなかったのと、まだほんの少し地声に近い声になっていることだった。

実際の所、低いピッチになれば逢田さんは「跳ね」を入れることもなく、そもそも入れること自体が難しいじゃないかと思われる。

では、そんな「跳ね」はいつからスタイルとして「確立」されたのか?

曲の雰囲気に合わせるためだったのか、Guilty Kissの1stシングル、Strawberry Trapperでは「跳ね」が観測できるようになり、表題曲のStrawberry Trapperはともかく、Guilty Night, Guilty Kiss!になると、その「跳ね」が確実に明らかになっていた。

今までのGuilty Kissのインタビューでは、「落ち着いた桜内梨子が、Guilty Kissではどんな風に歌えばいいかのを探っていた」と逢田さん自身が言及しており、「跳ね」はもしかしたらそんな「探りの結果」だったかもしれない。

こうして逢田さんの歌は第二時期に入り、「跳ね」を持ったままアニメ一期の歌唱を行っていたのだが、一期2話での「ユメノトビラ」に入れた「跳ね」は、ある意味「やりすぎた」とも聞こえた。

桜内梨子の弾き語りである「ユメノトビラ」は、ピアノのみが伴奏になり、そんな静かなインストルメンタルに「跳ね」を入れたのはいいのだけれど、どうも制御がまだ甘い部分があったらしい。

とはいえ、その跳ねによって桜内梨子の歌声は甘みが増えて、その乙女チックな部分をうまく引き出せたと私は思う。

そして、第三時期では、見事その「跳ね」を制御できた逢田さんの歌があり、さらに言うともともと持っていた素晴らしい演技力をさらに歌に込められるようになった逢田さんがいる。

3rdシングルはこの時期のスタートであり、HAPPY PARTY TRAINでの梨子ソロパート、「知りたいのは素晴らしい夜明けと 切なさを宿す夕焼け」での切なさにいつも心がくすぐられていて、しかし本当に「上手!」と実感できたのはLanding action Yeah!!の時だった。

ちなみに過去ツイートを見返した所、どうやらコワレヤスキの試聴動画出た時すでに変化しているなぁと思っていた自分がいるらしい。

さらにその前にすでにGuilty Eyes Feverで「歌が進化している」と主張していたらしい。

 

さて、Landing action Yeah!!の話に戻るのだが、その曲の中の逢田さんは「跳ね」以外にフレージングの処理もより一層うまくなっているイメージがあって、実際歌唱におけるフレージングに気をつけなければ歌が固くなったり不自然になったりもする。

それについてはほんの少しだけど去年ではツイートしたことがある。

その他裏声と地声の使い分けや演技を込めた歌唱はもともと逢田さんの持っていた武器であり、自分はユメを語るよりユメ歌おうの「ユメを語る歌が生まれるんだね」で裏声を、勇気はどこに?君の胸に!の「違う朝だよ」で地声を出す判断が素晴らしいと思っているし、Guilty Night, Guilty Kiss!の「真剣なのに ふざけて見せたり そういうことが楽しいの」での、まるで鼻で笑うような歌声が大好きだったけど、WATER BLUE NEW WORLDの「気が付いた僕らはどこへ向かうの?」での切なさはとくに見事な歌唱だったと頷いている。個人的には己の歌にうまく演技力も込められ、「歌でもちゃんとキャラクターを認識させてくれる」Aqoursのメンバーは確実に逢田さんだと感じている。

 

ここからはスタイルの話になるのだが、率直に言うと、「ロックであるかロックでないか」というとても簡単な話。

Aqoursの楽曲は多彩であり、王道アイドル風、EDM、バラードやロック、様々の曲風が展開されているが、Guilty Kissの楽曲になると今の所はロックかEDM、いわゆるクール系の曲風がメインになっている。

CD音源では「うまく隠せている」のだが、いざライブパーフォマンスになると、「本性」がバレてしまう。

それは、 「逢田さんがどっちかというと、ロックやかっこいい系の方が圧倒的に生き生きしている」こと。

AqoursのDaydream Warriorとスリリング・ワンウェイでは、その踊りや表情から「かっこいい梨子ちゃんだなぁ」とも感じれるのだが、Guilty Kissになるとどっちかって言うと逢田さんが歌っているなぁと最近思っている。

いくつかのインタビューで好きなアーティストは?と聴かれた時の答えは、逢田さんの可愛らしい外見と裏腹に、EGOIST、SPYAIR喜多村英梨など、ロック路線を持つアーティストらだった。好みにもなると、自然に身に染み込むものがあり、それでGuilty Kissではあんな生き生きしている逢田さんが見られるわけかもしれない。(もちろんどれほど染み込むのかは個人差あると思うけど、それについては他のパートで語りたいと思う)

 

簡単なまとめ

Aqoursの歌唱担当とも言われている小林愛香鈴木愛奈を同じグループに持ち、最初はともかく、最近はそんな二人にも負けていない歌唱を見せていくれている逢田さん。1stシングルからはずっと進化し続けてきたことがはっきりと見えるし、思えば1st Liveの時Guilty Kissでの逢田さんの歌唱に驚き、2nd BDの試聴動画で当時観ることができなかったコワレヤスキのパーフォマンスの逢田さんに圧倒され、さらに函館UCでそのパーフォマンスが本物だと確認できた自分がいる。

ポテンシャルの話なら逢田さんは化け物だと確信できるし、きっと今後もさらに成長して進化を見せてくれると思う。

 

Coming up next: After Aqours 3rd Saitama PART 2: Dialogue in pianoforte 1st movement