林檎好きの戯言ログ

気まぐれでしかブログ書きません。しかし毎回長い。

短メモ: 「推しよ!シンフォギアへ来いッ!!!」と2016年から叫び続けて来た理由

6/17/2018の朝にシンフォギア(戦姫絶唱シンフォギアシリーズ)がプレキュアによってツイッターでトレンド入りになったのが話題になり、適合者の血が騒ぎ出す今日は実はAqours 3rd Live Tour 大阪公演の2日目。

 

よって、改めて2016年から逢田梨香子さん、シンフォギアへ来いッ!!!」っと叫び続けてきた理由を整理して叫びたいと思う。適合者らしいアツさで。

 

ぶっちゃけただ叫びたいだけで、今この文章書いている時のテンションはきっとおかしくなってるだけで後で読み返すといろいろと恥ずかしいと思っちゃうかもしれないけど、まぁまぁ。適合者らしいアツさでッ!

 

と言いながらも、理由を整理した所で、たった一つの大きな理由があるのに気付いたのだ。

 

それは、

 

「業界屈指の過酷と名高いシンフォギア現場に入り込むことで、元々ポテンシャルの化け物である推しによるさらなる化け物に成長する未来が観たいッ!!!!!!」

 

からだ。

 

ちなみに「業界屈指の過酷と名高いシンフォギア現場」というフレーズは、戦姫絶唱シンフォギアGXのCMで使われた言葉で、つまり公式認定

 

何が過酷というと、そりゃ私自身がその現場に居座ったことないから語れない部分も多いけど、とりあえず

 

1. Elements Gardenチームによる激アツ激ムズ曲の歌唱が要求される

2. 劇中の歌いながら戦闘シーンを実際にアフレコしながら歌うことが要求される(=CD音源使わずに、パンチなり斬撃なり砲撃なりとにかく闘いながら歌う)

3. オーディションを受ける際、演じるキャラクターに歌うシーンがあるかないかとは無関係に歌わされる(=選抜されたキャストは全員一定の歌唱力を所有している)

 

という三点が原因になっていると思う。

 

オーディションの段階からすでに地獄のような試練を乗り越えなければならないし、合格して自キャラに歌唱シーンがあればとりあえず物理的に殴りながら歌うことになりがち。

 

そしてご存知の通り、今のシンフォギアのキャストではメインキャスターとして悠木碧さん、水樹奈々さん、高垣彩陽さん、茅野愛衣さん、南條愛乃さんと日笠陽子さんが最前線で戦っているが、ヘッドホンが飛んだり、台本が飛んだり、「台本が邪魔だッ!」と叫んで台本を投げたり、熱くなりすぎてマイクにぶつかってしまったり、シンフォギアのアツさでさまざまな現象が起きる現場になっていた。悠木碧さん曰く、「シンフォギアはスポーツ」で、そんな悠木碧さんが現場に持って行くのはスポーツドリンクだったり、とにかく厳しいかつアツいッ!!現場になっていると、様々な話からその様子を覗くことができた。

 

そんな現場に入り込んだら、そして運が良く歌唱シーンがあったら、もう一切の手加減は許されないのであろう。

 

だからこそ余計に来て欲しい。推しにそんな現場に来てたっぷりと成長して欲しい。

 

闘いながら歌うというアフレコ形式はたしかに一期の頃監督の勘違い+天羽奏役の高山みなみさんが自らそのアフレコ形式をやり遂げて見せたことで今に至ってさらにいろいろアップグレードしながら続行してきたけど、その背中を見つめて、一番成長し続けてきた子、悠木碧さんを見て、

 

 

「推しにこんな風に成長して欲しい!!!!」

 

っと思わないではいられないのだ。

 

 

Aqoursの歌唱力トップはおそらく鈴木愛奈ちゃん、小林愛香ちゃん、そして高槻かなこちゃんだと皆で公認しているだろうけど、

 

私から見て、演技力と魂の熱さは、間違いなく逢田梨香子さんがトップなのだ。

 

上からの目線で本当に申し訳ないけど、今ではまだまだ未熟や不安定な部分があると思う。でも、だからこそだ。

 

その魂の熱さならきっとシンフォギアの現場に入り込んだって減ったりしない、むしろさらに燃え上がってしまうじゃないかな。

シンフォギアの曲はたしかにロック系が少ないけど、同じような、もしくはそれ以上の熱さを持つ曲はたくさんあって、きっといい化学反応が発生するじゃないかな。

 

そして、純粋に逢田梨香子さんのファンとして、一適合者として、一Aqoursファンとして。

 

来て欲しい、シンフォギアに。

シンフォギアに来てたっぷり成長して、そのポテンシャルを爆発させて、デガイ存在になって欲しいッ!!

(もちろん奈々さんが中学からずっと好きだった人間としては桜内家の共演をもっと増やして欲しいという思いはあります、はい)

 

シンフォギアは今まで無印、2期、3期、そして4期が完成され、2019年に5期が控えているのだが、5期の後に何があるのかはまだわからない。

 

だから今のうちに、2019年の5期キャスト発表にその名前がいない未来が待っていても、今のうちに熱く叫びたい。

 

逢田梨香子さん、シンフォギアへ来てくださいッ!!!」

After Aqours 3rd Saitama PART 2: Dialogue in Pianoforte 1st movement

前回のあらすじ

Aqoursでの推しーー逢田梨香子の「音楽力」について語るシリーズを始め、パート1では逢田さんのボーカルを見ていたけれど、要するに

 

  1. 初期にはなかった「フレーズの最後の跳ね(⤴︎)」の運用
  2. Aqours屈指の演技込めた歌唱
  3. ロックやかっこいい系になるとキャラクターを超えた化け物級パーフォマンス

という三つの特性が逢田さんの歌を構成していると見ていた。

他にもメロディーのフレジングの処理や裏声と地声の使い分け技術がその歌から観測することができ、その意味では逢田さんを「ポテンシャルの化け物」と言っても過言ではないと私は思っている。

 

詳しくは前の文章へどうぞ。 

ringojolno.hatenablog.com

 

さて、ここからは、ピアノという単語を元に、二つの話をしたいと思う。

  1. Pianoforte Monologueという「特例」
  2. ピアノ演奏とその他のことから視える耳の話

上述の二つの話はどっちもある意味ピアノと関連しており、それらを「1st movement」と「 2nd movement」に分けて、別々話したいと思う。

 

また、本来ならボーカルとピアノ演奏を別々にして語るべきだったと私も思っているのだが、ちょうどどっちもピアノと関係があったりなかったりするので、「『ピアノ』が何かを教えてくれる」というコンセプトを取りたいと思い、本記事は「1st movement」として「Pianoforte Monologueという『特例』」について語らせていただく所存。

 

またいつも通りのことだが、このシリーズは遊び程度の観測であり、戯言を「事実」だと勘違いしないように。

 

 Dialogue in Pianoforte 1st movement: 2.5次元の君たち

先日に行われた、Aqours 3rd lovelive! Tour ~WONDERFUL STORIES~埼玉公演で、桜内梨子のソロ曲「Pianoforte Monologue」はようやく披露された。

一逢田梨子推しとしては本当に待ちに待った5分間であり、現地でその初披露を見届けることができ、もはや「感動」とか「光栄」とか、そういう言葉では表せない気持ちがたくさんだった。

 

ステージ映像をバックにして、ピアノのメロディーとともに踊り出す。しなやかに伸ばし出す手とともに流れる音符の波。己の色に満ちた「空」に羽ばたく「輝き」と「想い」。

 

っと、もはや語彙力が頼りにできなくなったぐらい、「細かい部分はなぜか忘れてしまったけどあの5分間で作られた『世界』は未だに忘れていない」という矛盾も発生してしまうぐらい、幸せいっぱいな5分間だった。

 

しかし、実に面白いのだ、「Pianoforte Monologue」という「世界」は。

最初に試聴動画で聴かせてもらった時は、その1サビ分ですでに次元の「食い違い」を感じていたし、

前の「Pianoforte Monolgueの音楽的なあれこれ」の記事でもそれについて言及した。

 (一応はてなブログにも移植したのだが、evernoteの方をオススメする)

www.evernote.com

 

その記事は編曲・作曲視点でPianoforte Monologueを観察してあれこれについて語り出し、おまけの部分でで歌のことについて少しだけ触れさせたけど、

 

  1. 「歌っているのは誰だ」
「Pianoforte Monologue」の視聴動画が公開された日から、私はずっと疑問に持っていた。
歌詞の内容でどっちも連想できるというのは当たり前だけど、
そう思わせてくれたのは「Pianoforte Monologue」のボーカルの声質なのだ。
 
っとまぁこんな風に語らせた。
 
実際のステージを見て確信したのは、Pianoforte Monologueはある意味「二人分の固有結界」であり、そんな世界の中では「次元」という壁がないことだった。
 
何故そんな世界が出来上がったのかというと、それは表面的な要素と内面的な要素、どっちも原因になっているからと私は思う。
 
表面的な要素:外見(服装と髪型)、声、演出者=キャラクターを担当している声優本人
内面的な要素:アニメ1期10話から11話までの展開、及び1st Liveの時の、「想いよひとつになれ」の演出とそれに関係している出来事
 
内面的な要素についてはいざ語り始めるといろいろと制御できなくて本題から逸れてしまう恐れはありすぎるので、ここは「ボーカルの声質」について話したいと思う。
 
パート1(’After Aqours 3rd Saitama PART 1: Do Justice to Your 'GUILTY' Music’)では、逢田さんがラブライブ!サンシャイン‼︎での歌唱を二つのスタイル、「Aqoursとしての桜内梨子」と「Guilty Kissとしての逢田梨香子さん」に勝手に分けさせてもらったのだけれど、
 
そう、Pianoforte Monologueでの歌唱は、実は上述のスタイルに当てはまらないのだ。
 
怠け者モード全開で申し訳ないが、ここもやっぱり「Pianoforte Monolgueの音楽的なあれこれ」の内容を引用させてもらう。
 
桜内さんの歌声には甘味があり、その甘味をもっとも引き出せた曲はおそらく「Guilty Night, Guilty Kiss」であり、
例えば「Daydream Warrior」のようなかっこいい曲でも、桜内さん特有の甘味と切なさは薄くなったりはしなかった。
しかし、「Pianoforte Monologue」では、視聴動画公開分(一番サビまで)は珍しくそう聞こえなかった。
歌詞のせいでもあるかもしれないが、簡単に言うと「甘味」が薄い。
一番サビ以降は「甘味」が戻ってきて「桜内さんが戻ってきた」感があるが、なぜだろう。
 
本記事作成しながら改めてPianoforte Monologue(ボーカルオンニー)を聴いて確認したところ、やはりPianoforte Monologueを初めて聴いた頃と同じ感想を持ってしまう。
 
Pianoforte Monologueを歌っているのは、桜内梨子じゃない誰かだ。
 
そのような感想を持たせてしまう原因を自分なりに考えたみたが、まずはこの曲における歌唱の二つの特徴を見て行きたい。
 
1. 地声に近い歌唱
 
この前フォロワーさんと話していてみんなで頷いてたかつ本人も言及したことがあって、それは「逢田さんの声質は高くない」ことだった。
 
合唱団にはおおまかだけどソプラノ(女性高音部)、アルト(女性低音部)、テノール(男性高音部)とベース(男性低音部)4つのパートがあって、そのパート分けは団員の声質と直接に関係している。
ちょうど何年前自分は大学の合唱団の新入生オーディションで審査員をやらせていただいたことがあって、その時最初に行うのはパートの判定だったけど、しゃべりでだいたいはその声質といるべきパートを把握できて、その後にいろんな音を歌で届いてもらって、「どの範囲では歌声がもっとも響くのか」を聴いてから正式にパートを判定するという作業を行っていた。
 
個人的には逢田さんの地声だと、率直言うと一番好きの部類には入っていないが、キャラ声になるとかなり甘いや愛嬌のある声で、そこがとても好きだけど、そういう時はやっぱり役の声になるためにわざとトーンを高めにする必要があるのではないかと推測している。
かと言って特に低いわけでもなく、おそらく地声(たとえば個人ラジオ「逢田梨香子のまるごとりかこ」でのしゃべり)はやっぱり中音域にあるのではないかと自分は思うし、それだと歌唱もおそらく中音域がもっとも得意なんじゃないかなぁと推測したい所。
 
そんな逢田さんが担当している桜内梨子ちゃんの声は、少なくとも逢田さんの地声よりも高く、しかも甘みたっぷり。もうあざといと言われるほどの。好き。
 
余談だが、最近のCDドラマ(HAPPY PARTY TRAINあたり)と初期のCDドラマ(恋になりたいAQUARIUMあたり)を聴き比べてみると、初期のCDドラマの梨子ちゃんはありえないほど声が高いし微妙に色気を持っていたけど、逆に最近のCDドラマにいる梨子ちゃんは声の高さをも含めて、いろんな原因で「梨子ちゃんの皮をかぶった逢田さん」だと錯覚させてくれている。
 
 さて、Pianoforte Monologueの話に戻る。
 
Pianoforte Monologueのメロディーで使われた音と声区(または音高)については前も記事で言及したけど、簡単に言うとこの曲の音はどっちかっていうと「低い」方なのだ。
サビはともかく、AメロとBメロの範囲はあくまでC4(Middle Cとも呼ぶ)からB♭4で、しかもAメロ前半だとC4〜F4しか使われていなくて、割と低い方の音域になっている。
前述したように桜内梨子ちゃんの声は高い方で、その甘みと柔らかさを出すためには、どうもPianoforte Monologueの音域ではそれがとても難しいらしい。
正しく音をヒットさせるため、そして正しく「曲を歌う」ため、桜内梨子ちゃんの歌よりもどうしても地声寄りの歌になってしまうのではないかと私は思う。

2. 例の跳ねは健在 
 

みんな大好き跳ね⤴︎。

パート1ではたっぷりと語らせてもらったけど、Pianoforte Monologueにはその跳ねも存在していたのだが、やっぱり全体的に音域が低いから普段よりは少し出現回数が減った気がしなくもない。

しかし実際のところF4の音にでも跳ねを入れたところを見て、低い音=跳ね出せないというわけでもなさそうだ。

 そして前述の「地声に近い歌唱」にあわせてみると、跳ねが存在しても音域によって桜内感が半減されていることは、どうやら「跳ね=桜内梨子」にはならないらしい。跳ねによって色気が増えたのだが、肝心な「甘みと柔らかさ」は跳ねとあまり関係していないかもしれない。

そんな歌唱で歌われたPianoforte Monologueは、メインメロディーでは桜内梨子が見つからないし、どっちかっていうと歌い手の本音、つまり逢田さん自身がその歌の中に存在していると私は考えている。

 

しかし、それだと、ある意味まずいのだ。Pianoforte Monologueは、桜内梨子のソロ曲であり、桜内梨子のエピソードを語る曲だったはず。なのにどこにも桜内梨子が見つからなくて、代わりに逢田さんが表に出ているような歌になっていて、どうするものか。

 

上の疑問に答えるために、ここはシェフの身分を捨てて、とても意地悪な、もしくは残酷な言い方をすべきかもしれない。

 

桜内梨子ちゃんと似たような経験をした逢田さんだから、みんなはそれをあまり気にしていない、もしくは気にしないようにしているのだろう」。

 

1st live Day 1はともかく、Day 2はまさにそれだった。たとえそれが誰もが望まなかった、しかし誰もが感動に思ってしまった展開だったとしても。

そう、ここに来てようやく内面的な要素が動き出し、Pianoforte Monologueという「世界」を立ち上げて行き始めるのだ。

あのピアノ演奏があったから、Pianoforte Monologueの歌詞はまんまと逢田さんのエピソードにもはまるし、おそらくそれで自分は試聴動画を開いた時「違和感を感じた」よりも「歌っているのは誰だ」と困惑していたかもしれない。

 

「いや、違うだろう」ではなく、「梨子ちゃん…?いやでも逢田さん…?」だった。

 

と言いながら、実はボーカルオンニーで確認してみたところ、あるところに梨子ちゃんを「見つけた」のだ。

コーラス、またはバッキング・ボーカルに梨子ちゃんがいた。

「Pianoforte Monologueにいるとしたらそれはピアノだろ!」という主張には同意するし間違いないなぁと思いつつ、実はコーラスの方の音域が全然高くて、ちょうど梨子ちゃんの声を容易く「出せる」音域になっているし、何よりコーラス特有の息混じりの歌唱が梨子ちゃんっぽい甘みを出してくれているのだ。

これも不本意なのかもしれないし、「ただの妄想だろ」って言われたら正直認めよう。その通りだ。

だけどもし上述の主張で一回でも改めてその歌を聴いてみたら、おそらくかなり恐ろしい景色が見えるのだろう。

 

「逢田さんが表に歌っているのを、梨子ちゃんはコーラスとして支えてあげている」という景色。

 

とまぁ以上のアツすぎた語りから離れて、簡単にまとめよう。

まとめ

Pianoforte Monologueの音楽上の特点と、逢田さんの声の特性と、この前見届けたライブパフォーマンスについて考えて、そして上述の観点を踏まえて、私はこんな結論にたどり着いてしまった。

 

Pianoforte Monologueの歌唱は、不本意ながらも、逢田梨香子さんと桜内梨子ちゃん、二人分の歌なのだ。

 

そして、ライブパーフォマンスでのPianoforte Monologueは、完全に一つの「世界」になっていて、その「世界」こそが2.5次元だったかもしれない。

 

歌も外見も、曲も動きも、最後のセリフさえ次元の境界線が曖昧の世界。

 

サンシャインのソロ曲には2.5次元のエレメントが含まれている主張に私は頷いているのだが、
それは歌詞の話であり、ボーカルの表現はやはり別のこととして考えたほうがいいのだろうか。
もしくは私の中では最初から桜内梨子逢田梨香子の境界線がかなり曖昧になっているからか。
私の中の2.5次元は、もしかしてそういう意味だったかもしれない。

 

「Pianoforte Monolgueの音楽的なあれこれ」では私はこう語ったのだが、ライブパーフォマンスを通じて、自分の中ではほんの少し答えに近付けた気がする。

 

たとえそれが不本意、あるいは偶然が重なった結果だとしても。

 

Coming up next: After Aqours 3rd Saitama PART 2: Dialogue in pianoforte 2nd movement

 

After Aqours 3rd Saitama PART 1: Do Justice to Your 'GUILTY' Music 

前置き

いきなりだけど、とても悪いこと(というより、とても意地悪な文章を書くこと)にする。

 

Aqoursでの推しーー逢田梨香子の「音楽力」について語ります。

 

 最初は「音楽性」という言葉を使いたかったが、念のため調べてみた所、「音楽性」を語るには必ず「テクニック」が付いてくる、すなわち「音楽性=音楽センス」という意味で捉えられることもあるらしい。

 

しかし、もしかしたらここで語りたいのはそういうことよりも、単にAqoursでの逢田梨香子さんの音楽から見える逢田梨香子さんの音楽上の特性と、彼女の持っている力」について語っていきたいだけかもしれない。

 

もちろん「テクニック」と「センス」から避けることはない(むしろ避けられない)が、その「テクニック」と「センス」を中心に語りたいわけでもないし、なにより私自身はプロではなく、ましてや逢田梨香子さんが今までどんな音楽トレーニングをやってきたのかが知っているような人物でもないので、あえてちょっと曖昧なワーディングにしてしまった。

だからこれはいつも通りの戯言であり、100%本気にされたら困る、大いに困ってしまう。私はただのシェフ(逢田梨香子さんのファン)でしかないからね。

 

ちなみに「なぜこのタイミングで?」って言われると、

 

ーーそりゃ、1st、2nd、函館UCが終わり、そして3rdが始まったこの時点で、ようやく逢田梨香子さんの「ソロステージ」を見届けることができたから…というのは70%の嘘で、「単に逢田梨香子さんはどこまでできるのか」を、個人の視点で語ってみたかったからね。

 

君の音楽を巡る冒険ーーどこから探る?どう探る?

都合のいいことに、逢田梨香子さん(以下、逢田さん)の音楽を探るための材料は、Aqoursの他の8人より一個多い。

  1. ボーカル
  2. 楽器演奏(ピアノ)

ボーカルはCD音源とライブパーフォマンス、この二つから見ることができ、Aqoursの他のメンバーの音楽を見るのも基本そこからだと思うが、逢田さんの場合1st liveでのピアノ演奏も材料になる。 

ピアノについての話は、同じくピアノを弾く者としてほんの少しだけ視えたことを語り、そこから逢田さんの音楽力を少しだけ覗いてみたいと思う。

ちなみに自分のことを讃えてもらいたいのではなく、単に自分はどの条件を持って上述を見て行くのかと先に申告しておきたいのだけど、

この三つに頼って、遊び程度の観測を行いたいと思うが、もう一度言うと林檎好きはプロではございません。戯言を「事実」だと勘違いしないように。

 

また、おそらくかなり長い話になってしまうため、いくつのパートに分けて語らせていただく予定で、本文章はそのボーカルでの進化を語りたいと思う。

 

では、「この世界で遊ぼう」か。

 

君の歌は進化してるかい?ーー1stシングルからWATER BLUE NEW WORLDまで。 

まずはボーカルから逢田さんの歌の進化とその良さを語りたい。

 

逢田さんの歌については、個人的には三つの時期に分けられて、二つのスタイルに分けられる(ただし特例もあるが、それについては後日に触れる所存)。

 

時期:

  1. 1stシングル(君のこころは輝いてるかい?)〜 2ndシングル(恋になりたいAQUARIUM
  2. Strawberry Trapper 〜 アニメ一期 
  3. 3rdシングル(HAPPY PARTY TRAIN)・コワレヤスキ・Landing action Yeah!! 〜 アニメ二期

スタイル:

  1. Aqoursとしての桜内梨子
  2.  Guilty Kissとしての逢田梨香子

 

まずは時期の話。

気付いている、もしくはご存知している方もいると思うが、逢田さんの歌のスタイルはAqours9人の曲の中で目立っている一つの特徴、「フレーズの最後の跳ね(⤴︎)」があるのだ。他のメンバーの歌からにもたまにはその跳ねが観測できるが、逢田さんの歌では特にそれが強く、いわゆる「目印」になっている所がある。

その跳ねについては、一部のファン(正確に言うと、中国勢の所)のあいだでは結構話題になっていて、それを癖だと言い嗤うこともある。

1stシングル(君のこころは輝いてるかい?)と2ndシングル(恋になりたいAQUARIUM)のあいだには半年ぐらいの時間が空いており、この「初期」における最大の特徴は、上述の「跳ね」が存在していなかったのと、まだほんの少し地声に近い声になっていることだった。

実際の所、低いピッチになれば逢田さんは「跳ね」を入れることもなく、そもそも入れること自体が難しいじゃないかと思われる。

では、そんな「跳ね」はいつからスタイルとして「確立」されたのか?

曲の雰囲気に合わせるためだったのか、Guilty Kissの1stシングル、Strawberry Trapperでは「跳ね」が観測できるようになり、表題曲のStrawberry Trapperはともかく、Guilty Night, Guilty Kiss!になると、その「跳ね」が確実に明らかになっていた。

今までのGuilty Kissのインタビューでは、「落ち着いた桜内梨子が、Guilty Kissではどんな風に歌えばいいかのを探っていた」と逢田さん自身が言及しており、「跳ね」はもしかしたらそんな「探りの結果」だったかもしれない。

こうして逢田さんの歌は第二時期に入り、「跳ね」を持ったままアニメ一期の歌唱を行っていたのだが、一期2話での「ユメノトビラ」に入れた「跳ね」は、ある意味「やりすぎた」とも聞こえた。

桜内梨子の弾き語りである「ユメノトビラ」は、ピアノのみが伴奏になり、そんな静かなインストルメンタルに「跳ね」を入れたのはいいのだけれど、どうも制御がまだ甘い部分があったらしい。

とはいえ、その跳ねによって桜内梨子の歌声は甘みが増えて、その乙女チックな部分をうまく引き出せたと私は思う。

そして、第三時期では、見事その「跳ね」を制御できた逢田さんの歌があり、さらに言うともともと持っていた素晴らしい演技力をさらに歌に込められるようになった逢田さんがいる。

3rdシングルはこの時期のスタートであり、HAPPY PARTY TRAINでの梨子ソロパート、「知りたいのは素晴らしい夜明けと 切なさを宿す夕焼け」での切なさにいつも心がくすぐられていて、しかし本当に「上手!」と実感できたのはLanding action Yeah!!の時だった。

ちなみに過去ツイートを見返した所、どうやらコワレヤスキの試聴動画出た時すでに変化しているなぁと思っていた自分がいるらしい。

さらにその前にすでにGuilty Eyes Feverで「歌が進化している」と主張していたらしい。

 

さて、Landing action Yeah!!の話に戻るのだが、その曲の中の逢田さんは「跳ね」以外にフレージングの処理もより一層うまくなっているイメージがあって、実際歌唱におけるフレージングに気をつけなければ歌が固くなったり不自然になったりもする。

それについてはほんの少しだけど去年ではツイートしたことがある。

その他裏声と地声の使い分けや演技を込めた歌唱はもともと逢田さんの持っていた武器であり、自分はユメを語るよりユメ歌おうの「ユメを語る歌が生まれるんだね」で裏声を、勇気はどこに?君の胸に!の「違う朝だよ」で地声を出す判断が素晴らしいと思っているし、Guilty Night, Guilty Kiss!の「真剣なのに ふざけて見せたり そういうことが楽しいの」での、まるで鼻で笑うような歌声が大好きだったけど、WATER BLUE NEW WORLDの「気が付いた僕らはどこへ向かうの?」での切なさはとくに見事な歌唱だったと頷いている。個人的には己の歌にうまく演技力も込められ、「歌でもちゃんとキャラクターを認識させてくれる」Aqoursのメンバーは確実に逢田さんだと感じている。

 

ここからはスタイルの話になるのだが、率直に言うと、「ロックであるかロックでないか」というとても簡単な話。

Aqoursの楽曲は多彩であり、王道アイドル風、EDM、バラードやロック、様々の曲風が展開されているが、Guilty Kissの楽曲になると今の所はロックかEDM、いわゆるクール系の曲風がメインになっている。

CD音源では「うまく隠せている」のだが、いざライブパーフォマンスになると、「本性」がバレてしまう。

それは、 「逢田さんがどっちかというと、ロックやかっこいい系の方が圧倒的に生き生きしている」こと。

AqoursのDaydream Warriorとスリリング・ワンウェイでは、その踊りや表情から「かっこいい梨子ちゃんだなぁ」とも感じれるのだが、Guilty Kissになるとどっちかって言うと逢田さんが歌っているなぁと最近思っている。

いくつかのインタビューで好きなアーティストは?と聴かれた時の答えは、逢田さんの可愛らしい外見と裏腹に、EGOIST、SPYAIR喜多村英梨など、ロック路線を持つアーティストらだった。好みにもなると、自然に身に染み込むものがあり、それでGuilty Kissではあんな生き生きしている逢田さんが見られるわけかもしれない。(もちろんどれほど染み込むのかは個人差あると思うけど、それについては他のパートで語りたいと思う)

 

簡単なまとめ

Aqoursの歌唱担当とも言われている小林愛香鈴木愛奈を同じグループに持ち、最初はともかく、最近はそんな二人にも負けていない歌唱を見せていくれている逢田さん。1stシングルからはずっと進化し続けてきたことがはっきりと見えるし、思えば1st Liveの時Guilty Kissでの逢田さんの歌唱に驚き、2nd BDの試聴動画で当時観ることができなかったコワレヤスキのパーフォマンスの逢田さんに圧倒され、さらに函館UCでそのパーフォマンスが本物だと確認できた自分がいる。

ポテンシャルの話なら逢田さんは化け物だと確信できるし、きっと今後もさらに成長して進化を見せてくれると思う。

 

Coming up next: After Aqours 3rd Saitama PART 2: Dialogue in pianoforte 1st movement

 

Pianoforte Monologue の音楽的なあれこれ

前置き
 
推しのソロ曲になれば語らずにはいられないこそ、たまにはこういうノートを作りたくもなる。
しかし語りたいのは歌詞の内容よりも、インストルメンタル(作曲と編曲)の方であって、
なにせこれは推し−−Aqours作曲担当の一人である桜内梨子の曲だから。
 
もちろん、「Pianoforte Monologue」 はボーカル曲であり、
最終的にはやはり歌詞に触れてしまうのであろうが、
「音楽で歌詞を描く・なぞる方法」という方面のみで歌詞を触れさせていただきたい所存。
 
個人論だらけのこのノートには、音楽理論はもちろん、
私自身の耳と目で視えたものしかないので、
 
「本当の仕組みと意図」は作曲者・編曲者のみが知る
 
という言葉を心に置いて、
以下の戯言にお付き合いいただければ。
 
また、かなりの長文になってしまっているので、
用事がある間に読んではいけないとは私からのアドバイス
必ず暇になった時だけに読んでね。
 
基本情報
 
観察部分に入る前に、まずは曲に関しての情報や、
分析に使われる概念を少し説明させていただきたい。
すでに一定程度の音楽理論を把握している方にとっては余分なパートになると思うが、
そうではない方に少しだけでも理解しやすくなってもらえたら。
 
調性:D♭ Major  (変ニ長調)
音階の構成:D♭-E♭-F-G♭-A♭-B♭-C
速度:約95 BPM
拍子:4拍子 (4/4)
 
D♭ Major の和音(コード)

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コードとは最小3音で構成する和音であり、基本の三和音は音程(interval)で3度(degree)間隔の音を採用し構成される。
 
大文字のローマ数字=長三和音(Major triad / Major chord) I、IV、V はそれに該当し、功能和音 (functional chord)とも呼ばれており、楽曲の調性を確立する役割があるIコードTonic chordとも呼ばれており、調性を決める決定的なコードでありもっとも重要なコードである
フレーズの終わりでV→Iの終止(Cadence)は「完全終止(Perfect cadence)」と呼ばれ、古典音楽ではもっとも望ましい終止式であり、Iコードの重要性もそこから覗かれるのではないかと。
 
小文字のローマ数字=短三和音 (minor triad / minor chord)。ii、iii、vi はそれに該当する;vii°は減三和音 (diminished chord)
比較的に不安定であり、その不安定感を解消するためには最後には大体功能和音につながる。
 
長調では、viコードが本調の関係小調のTonic chordになっている。(本曲のD♭ Majorのviの構成音はB♭、D♭とFであり、
それがB♭minorのiコードと同じになっている)
その特性で短三和音の中では一番安定しているコードとも見られている。
 
安定感の意味で I>vi>V>IV>ii=iii>vii°と個人的に感じているのだが必然的に事実ではないかもしれない。
 
調性における表現
 
  1. 全音階主義
 
本曲ではDiatonicism 全音階主義=他の調性からのコードが使用されず、曲の調性にある7つのコードのみが使用される)が適用されている。
全音階主義の反対は半音階主義(Chromaticism)であり、本調にない音で構成したコードを使用することと理解していただきたい。
もっとも手取り早い解釈は本調の和音ではないもの。(基本情報の画像へ参照)
平行調(parallel key=同じ1度(Tonic)を持つ音階。一例としてはC MajorとC minor)から借りた和音をBorrowed chordと呼ぶ。
 
例:
 
 
C                          G/B       Am         Em 
Shining Road 走り出すこの気持ち
         F              F♯dim         G6       A♭aug  B♭
まっすぐに 勢いよく 君を探してたよ
C                         G/B              Gm7/B♭  A7
ちょっと待ってなんて無理 飛び出そう
     Dm G           C4       C 
僕たちの中の勇気が騒いでる
 
 
 
E
ここで待ってないで 
D
一緒に来なきゃ、だ!
A♭                                        A♭m
Summer time (Oh ya! Summer time!!)
Gm                   C                
とんでもない夏になりそう 
C♭ 
キミも覚悟は
D
できたかな?
 
以上の例での赤文字コードは全部曲の本調にはないコードになっている。
 
調性それぞれに「主題の色」があると仮定すれば、半音階主義はその主題の色に「別の色の飾り」を足す効果があり、
曲がさらにいろんな色彩が溢れているようになり、転調に至ることも。
「Pianoforte Monologue」が全音階主義であるため、最初から最後まで本調の「主題の色」を維持していた。
 
なお、現代音楽では半音階主義やBorrowed Chordが汎用されており、例に挙げた二曲以外の全音階主義ではないAqoursの曲は多数に存在している。
メロごとで全音階主義になっている楽曲は多いけど、最初から最後まで全音階主義の曲は?と言うと、
実際にざっと数えてみて、「Pianoforte Monologue」以外に間奏も含めて「ときめき分類学」、「LONELY TUNING」ぐらいしかないかもしれない。
 
ちなみに本文章を作成している時点で、
今まで発表されたソロ曲−−高海千歌の「One More Sunshine Story」、国木田花丸の「おやすみなさん」、津島善子の「in this unstable world」、渡辺曜の「Beginner's Sailing」も全部全音階主義ではない。
 
  1. 転調なし
 
Aqoursの楽曲に転調がかなり効いている曲は言わずとも、「MIRAI TICKET」と「WATER BLUE NEW WORLD」だった。
それを「桜内決戦モード」と私自身からは呼んでいるのだが、
そんな桜内梨子のソロ曲、「Pianoforte Monologue」に実は転調がない。
強いて言うのならB♭ minor(D♭ Majorの関係調、relative keyに転調したのとも見られるが、
現代音楽ではその境界線がとても曖昧であり、本曲のメロディーではD♭が多めになりその他の音も「ド」に戻る傾向が強いがため、
D♭が中心音(centric note)と見てそれが「ド」と判断した上でviコード使用多めのD♭ Major曲と扱ってもよろしいかと。
そしてかなりの個人論になるのだが、そもそも関係調では曲の「色味」がそこまで変わらないという所もあるし、
前述の通り現代音楽ではかなり曖昧になってきている。
 
 
前述の全音階主義と転調なしの特徴から見て、
「Pianoforte Monologue」は最初から最後まで、一つの色しか持っていない。
私個人の感性の話で、他者が視えるものは違うものになっているのはおかしくないのだけれど、
D♭ Majorはちょうどちょっぴり涼しい桜色を帯びている。
 
変化なしとも捉えられるし、
スクフェス桜内梨子は自分のことをずっと地味と言っていたのだが、
テレビアニメの桜内梨子はどうだろうか。
深く読まなくても「Pianoforte Monologue」は「想いよひとつになれ」のアンサーソングだと客観的に観えるから、
「Pianoforte Monologue」の時点の桜内梨子は「地味」なのか、
それとも「己の色を純粋に、自由に表現している」のだろうか。
 
ハーモニーにおける表現
 
メロディーにコードを合わせることでハーモニーが生まれてくる。
「コードを選ぶことでメロディーの色味も変わる」という前提で、以下の観察を述べらせていただきたい所存。
なお、「Pianoforte Monologue」のコードマップは本来であればここに貼るべきだったのだが、
それだとあまりにも長すぎるのであえて割愛し、説明する部分だけのコードマップを提供させていただく。
 
前のセッションにも貼ったのだが、D♭ Major のコードは以下になり、

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D♭ = I、E♭m = ii、Fm = iii、G♭=IV、A♭= V、 B♭m = vi、Cdim = vii°、
 
と以上のように変換して、
各ローマ数字の意味とコードの特性は基本情報のセッションを参考していただきたくと以下の説明も理解しやすくなると思う。
 
  1. イントロ、アウトロおよびAメロのローリング・プログレッション
 
ローリング・プロゲレッション(Rolling progression)とは、同じハーモニー進行を何度もループする仕組み。
 
イントロ、アウトロとAメロではG♭→A♭→B♭m の進行が一小節ごとループされ、
一番Aメロでは以下のようになっている。
 
G A♭      B♭m              G♭  A♭       B♭m
    私のなか 流れ出した  音がたくさんあるの
G  A♭ B♭m   G  AB♭m     G♭    A♭        B♭m
    綺麗なだけじゃなくて でもね どこか優しい音が
GA♭ B♭m  GAB♭m G A♭    B♭m         G♭   A♭   B♭m
   新しい        夢と涙      とけあったコンチェルト
 
G♭→A♭→B♭mをIV→V→viと変換してそれを見ると、まるで同じ道を何度も繰り返すような進行にも見えるし、
そんなループが曲の最初にと終わりにも出現している。
 
ちなみに、Bメロにでは同じくIV→V→viのループはあるが、二小節ごとでループされおり、
サビに入る前には新たなコード、ii(E♭m)が使われてそれをV(A)に繋げてサビ入りの準備をした。
 
G   A♭       B♭m
ずっとずっと眠ってたの?
G A♭  B♭m
心の熱い願い
G A♭          B♭m  
目覚めてって あの日きっと
G             A
呼ばれてたと気がついた
 
前述の通り、viは短三和音の中で一番安定しているのだが、やはりID♭)がBメロまで行っても出現したことがなく、
その逆にIV→V→viが何度もループされていた。
 
一説ではviが関係短調relative minor)のIコードであり、viが長引くとその部分が短調に聞こえて、
長調に比べた短調は「嬉しさ」よりも「悲しみ」を語ることが多い。
 
個人的には現代音楽ではかなり軽快な短調曲がたくさんあって、上述のケースは必然ではなくなったと感じているが、
少なくとも短調長調に比べて少し「暗い」感は確かにあると思う。
 
そんな短調コード取り入れて、IV→V→viの三つのコード進行はステップワイズ(Stepwise)、つまり段階的に上がっている。
 
イントロ、AメロとBメロでひたすら繰り返されていた、少しだけ「暗い」コード進行ではあるが、それも階段を登っているようなものであって、
そんなコード進行が繰り返された歌詞の内容は以下のように。
 
私のなか流れ出した音が たくさんあるの
綺麗なだけじゃなくて でもねどこか優しい音が
新しい夢と涙 とけあったコンチェルト
 
ずっとずっと眠ってたの?
心の熱い願い
目覚めてって あの日きっと呼ばれてたと気がついた
 
(中略)
 
ふるえるほど緊張しても 私を待つ場所へ
向かおうと 息吸ってから大きく踏み出した

そっとそっとあやす様に
指先動かしたら
微笑んでアルペジオ さあ自由になれる
 
個人的な捉えではあるが、「ピアノという舞台に上がる前の心境」になっている歌詞に、
長調和音であるIコードから離れた段階的なコード進行は実はかなりぴったりなのではないだろうか。
 
  1. 調性を主張する、最大安定のIコードの出現回数
 
この曲ではI(D♭)の「初登場」は一番サビであり、
その同時に実はサビにしか登場していない。
 
一番サビのコードマップは以下になっており、
 
A♭     D     G♭     
  ひとりで向かう鍵盤だけど
B♭m   A♭        G♭       A 
  感じる…ひとりじゃない
             D♭  G♭ 
  気持ちはいつも繋がってるね
B♭m  A♭  G♭ A
  信じることができるから
B♭m   A♭   G  D♭/F     E♭m     A
  なんでも怖れずやってみようと決められる
                    G
  強くなれるの
 
単純にI(D♭)なら3回は出現しているのだが、 D♭/F というのはFをベースにしたD♭コードである。
 
D♭コードを構成するのがD♭、FとA♭の三音であり、この三つがあればD♭コードが成立されるが、
コードの名前にあるD♭以外の音でベースになっている場合、それを転回(inversion)と呼び、
D♭コードが描く色は保つが、本来のベースであるD♭が上に置かれたことで安定感が薄くなったと考えていただきたい。
 
転回されていない、本来のD♭コードならサビでの出現回数が2回で、
曲にサビが三つありで3x2=6回で、
ざっと計算すると、Aメロのコード数=18、Bメロのコード数=11、サビのコード数=20で
間奏、イントロやアウトロを除外し、
歌詞ありの部分のコード数内訳=Aメロ x 2 + Bメロ x 2 +サビ x3=118で、
その中に最大安定をもたらすIコードの占有率はたったの5%だった。
 
(ちなみにあくまで参考用情報なのだが、転回されたコードを除外して、「青空Jumping Heart」でのIコード(C)は、一番Aメロから一番サビまでの出現回数は6回だった)
 
調性を確立させるためのコードであることにもかかわらず、実にかなり少ない出現回数になっている。
だからこそ、歌詞にも合わせて、サビに入るたびにかなり胸に響くものがあったかもしれない、確実に踏み出したようななにかが。
 
  1. サビの「大空」コード進行
 
この項目はかなり個人テイストの話になる。
 
「大空」コード進行(以下「大空進行」)というのはI→IV→vi→V→IV→Vの進行であり、
私自身がつけた名前だけで公認の名称ではない。
実際の所、I→IV→vi→Vの進行はポップソングでは結構流行っているらしいが、
「I→IV→vi→V→IV→V」までの進行を自分は大空進行と呼び、その原因もここに述べらせていただく。
 

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左から右へ進んで、
 
I→IVは下降5度(descending 5th)、つまりIコードというスタード時点から下へ向かう動きになっている。
IV→viは上昇3度(ascending 3rd)であり、IV→からviという関係短調のIコードまで、という上へ向かう動き。
次のvi→V→IVは全部下降2度(descending 2nd)、つまり階段的に下へ向かう動きであり、
その最後にIV→Vでは上昇2度(ascending 2nd)で、本調のIコードに戻る準備を行う。
 
特筆すべきのは、下降5度と上昇3度の動き。
2度の動きはステップ、3度の動きはスキップ、5度の動きはリープになる。
ステップとスキップに比べれば、リープで作られた距離はかなり広くて空間感をもたらす。
 
コード進行を線だと考えて、さらに想像力を加えて観ていただきたくと、
 

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スタート地点(I)から飛び降りて、一度は進行の最低地点(IV)にタッチした後中継地点(vi)に戻り、
そのあとまた少しつつ潜って(vi→V→IV)また最低地点にたどり着き、
そしたらまたステップ動きで(V→IV)スタート地点に戻るための踏み台へ向かって、
一気に上に跳んでスタート地点に戻る。(V→I)
 
まるで空を舞う滑空機のような、空間感たっぷり、自由を象徴するコード進行だと自分は感じているのだが、
Pianoforte Monologueのサビにこの進行を使ったのはなかなかの名案だと思う。
 
  • 一番サビ
 
A♭     D     G♭     
  ひとりで向かう鍵盤だけど
B♭m   A♭        G♭       A 
  感じる…ひとりじゃない
             D♭  G♭ 
  気持ちはいつも繋がってるね
B♭m  A♭  G♭ A
  信じることができるから
B♭m   A♭   G  D♭/F     E♭m     A
  なんでも怖れずやってみようと決められる
               G
  強くなれるの
 
  • 二番サビ
 
A♭      D  G♭     
 あなたを音で抱きしめたいの
B♭m   A♭          G♭  A 
  受けとってこの想い
             D♭    G♭ 
  ありがとうって声届けたくて
B♭m  A♭   G♭  A
  弾いてるつもり このメロディー
 B♭m  A♭    G  D♭/F    E♭m     A
  なんて大げさに聞こえるかな でも本当よ
                G
  忘れないでね
 
 
ちなみに、サビの大空進行の後にvi→V→iv→Ia→ii→Vの進行がつながっている。(Ia=Iコードの第一転回。ド、ミ、ソの中でミをベースにした転回法)
ベースラインを見ると実はiiまでの進行は下降ステップになっており、そしてii→Vは上昇4度(descending 4th)であり、
Vもまた中継地点の役割がある。
 
サビの歌詞では「ピアノに纏わる苦しい過去から解放されたあと」のことを語っていて、
特に一番サビは「想いよひとつになれ」のピアノコンクールのことを語っているような歌詞で、
二番サビに入る前の歌詞が「さぁ 自由になれる」という。
 
過去から解放されて、心からピアノを楽しめることができた桜内梨子は、
やっと自由になって、しかもその優しい調べと音で誰かを抱きしめたいと語った。
 
そんな自由が溢れたサビに大空進行を持ってきたのは、
個人的にはすごく嬉しく思う。
 
  1.  終止式
 
前述したIコードの出現回数にも関係している、この曲における終止式の使い方。
終止式にはいろんなパターンがあり、詳しくはぜひウィキで調べていただきたい。
 
大体はIコードに終われば完全終止(V→I)か変終止(Plagal cadence、IV→I)、
他に偽終止(Interrupted cadence、V→vi)や不完全終止(Imperfect cadence、Vで終わる)もあるが、
この曲のフレーズの終わり方は決まってV→IVになっている。
この終止式に正式な名前はないらしいが、日本のポップソングには実は結構汎用されているに見える。
IVは功能和音の中で一番不安定しているコードで、古典音楽ではほぼ決まってVに向かわせてそのあとIに戻らせるため、
それを終わりに置くのは古典音楽的にはかなりのルール違反なのだが、
ポップソングではすでに認められている終止ではあり、
「疑念を持たせる」、もしくは「続きを期待させる」趣旨もあると私は思う。
 
特にこの曲の最後では楽器のアレンジによってテンポを落としながらピアノのみで終わりに向かうところがあり、
その演出を「未来への展望」だとも捉えられるのではないかと。
 
ゆっくり歩き出す、未来へ向かうピアノの音。
 
メロディーにおける表現
 
  1. イントロ及びアウトロメロディーモチーフ
 

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桜色のメロディーはピアノのみがイントロとアウトロで演奏したもので、紫色のメロディーはフルバンドで演奏した、イントロおよびアウトロのメインメロディー。一応上のメロディーの音源も作っておいた。
 
楽譜が読める方はもちろん、読めない方は音源を聴いていただければわかると思うが、中テンポのこの曲では軽く跳ねるような感じがあるリズムとメロディーになっている。
前に別の場面にも述べたのだが、ラブライブ!サンシャイン!!ではピアノが視覚的にも聴覚的にも桜内梨子のシンボルになっている。それを踏まえて、
冒頭のピアノのみのメロディーが桜内梨子の心が口ずさんだメロディーだと捉えれば、
その後フルバンドが入ったのは「心のメロディーが曲になった」ということにもなる。
アウトロでは紫色のメロディ−の後またピアノソロの桜色のメロディー+αが入ってきて、
再出現したこのメロディーは前述のように「未来への歩み」だとも捉えられるのではないだろうか。
 
  1. 各節で使われた音と声区(または音高)
 
簡単に言うと、ここは各節で使われる「音の高さと範囲」を見る。
わりと当たり前ではあるが、ポップソングは基本Aメロ、Bメロ、サビで構成され、
一番盛り上がるサビでは使う音の範囲も広くなるし高い音も使われる。
 
しかしこの項目で観たいのは、AメロやBメロの音とその音程(=二つの音の高さの間隔)。
 

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ソルフェージュで表現し、
上記のように、Aメロ前半ではド、レ、ミと低いシが多めに使われていて、レと低いシはどれもドとの間隔が2度(2nd)になっている。
第五小節に入ったらソも使われたらのだが、やはりドレミに徘徊している。
Bメロに入ったらファも使われたけど、
A、Bメロを見ると使われた音の範囲はC4(低いシ)からA♭4(ソ)であり、その間隔はたったの6度(6th)だった。
 
また、2度間隔の音が隣に並べることが多く、これもステップワイズ、階段的な動きになっている。
 
曲全体的にの雰囲気を考えて、一番AメロとBメロでそこまで高い音を使わないのはとても妥当ではあるが、
前述した「舞台上がり前の心境」はこの階段的な動きによりもなぞられているかもしれない。
 
そして、以下は一番サビの楽譜になる。
 

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サビで使われた音の範囲は低いシ(C4)から高いド(D♭5)であり、9度間隔(9th)になっている。
メロディーはやはりステップワイズ多めの構成になっているのが、4度間隔のリープも見られる(「気持ちはいつも繋がってるね」、及び「ありがとうって声届けたくて」)。
 
ちなみに、Cメロでは5度間隔(5th)も観測できる。

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全体的にステップワイズが多いこの曲は、やはり階段的に進むイメージが強い。
過去のエピソードも考慮に入れて、桜内梨子という子は前へ前へ!っと出たがる子ではないし、
それどころか一歩引いて着実に進む、少しばかり引っ込み思案の性格もしているから、
このステップワイズの動きもそれを反映できるかもしれない。
 
しかし面白いごとに、前述の「イントロ・アウトロメロディーモチーブ」では軽く弾けるようなメロディーも存在している。
 
「ピアノなら伝えられそう」というのはもしかしたらそういうことかもしれない。
普段はそこまで胸に秘めている情熱を表に出すことはないが、
彼女が作った曲ならその熱意が観れると感じたのはおそらく私だけではないのだろう。
 
  1. Bメロの締め
 

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これは曲を聴いていればわかるかもしれないが、
一番と二番のBメロの締めのメロディーはお互いに異なっており、歌詞も含めて見てみたらおそらく
メロディーで歌詞の内容も反映されている。
 
「呼ばれていたと気がついた」→ドレファミミレレドレミレ
「さぁ自由になれる」→ドレファミミラ
 
特筆すべきなのは、赤文字のミ(F)とラ(B♭)の4度間隔(4th)。
前述のようにAメロとBメロではステップワイズが多めで、これらの節での4度間隔の上昇リープはこれが唯一。
飛ぶようなリープが含まれている歌詞は「さぁ自由になれる」であり、
伴奏に合わせて聴けば結構言葉のままの雰囲気が引き出されているのではないだろうか。
 
楽器アレンジにおける表現
 
この曲の題名は「Pianoforte Monologue」であり、必然的にピアノがスポットライトに当てられているのであろうが、
だからこそ他の楽器を見て行きたい。
 
この曲の編曲者ではないため、使われた楽器を全部把握しているわけではないが、おそらく以下の通りになっている:
 
  1. ピアノ
  2. エレキギター
  3. ベース
  4. ドラム
  5. ストリングス
  6. シンセ
 
ここで特別に見てみたい楽器はストリングス。
ご存知の通り、桜内梨子の初期設定の特技のところに、ピアノ以外にヴィオラという楽器もあるが、
この曲ではヴィオラのみではなくストリングス全体使っている。
 
サビではテクスチャーをより豊かにさせるために伴奏をしているが、
一番のAメロでは低音でひそやかにコードを一個一個弾いていて、二番のBメロではピッツィカート(弦を指で弾く)をかなっていた。
この曲のAメロはどっちも静かで、とくに二番でのピッツィカートは心の「ピクッ、ピクッ」を奏でているような奏法だった。
前の項目「イントロ、アウトロおよびAメロのローリング・プログレッション」でもAメロの歌詞を引用したのだが、
まだ少しだけ不安がある心境をなぞるためのストリングスのAメロでの奏法は実にとても似合う。
 
他に面白いと感じた楽器アレンジはエレキギターによる線のようなハーモニー(イントロ、二番サビ、落ちサビ後半、アウトロ)と、
ピアノによるレギュラービートの伴奏(落ちサビ前半)。
エレキギターのハーモニーはまるで別のボイスが一緒に歌っているような感じもあり、
落ちサビ前半レギュラービートの伴奏はやはり桜内梨子の「自信と着実さ」をなぞるようなアレンジで、そのあとにつながるグリッサンドもまた桜内梨子のシンボルになっているエレメンツである。
 
もちろん上述以外にもまだたくさん見るべき点があるけど、それらも語ると終わりが見えなくなるのであえて割愛させていただく。
 
まとめ
 
こんな風に音楽理論からいろいろと語らせたのだが、
最終的にやはり私自身が視えたものであり、作曲者・編曲者との意図が異なるところはきっとあったのだろう。
しかし作曲担当が作った、楽器を題名にした曲を、
歌詞からではなく作曲・編曲から視て、作曲上の得るものは確かに多かった。
2次元と3次元がどれぐらいシンクロしているのか、その答えはおそらく永遠に出てこないだろうけど、
 
調性、コード進行、メロディー、楽器アレンジから見た「Pianoforte Monologue」は、
どこか歌詞と響き合っているところがあったとしたら、
それもまた「桜内梨子のやり方」と見ては、妄想もかなり楽しくなってくる。
 
純色のこの曲は、どこまでも優しかったし、強い決意も秘められていて、
いつもの桜内梨子だった。
 
おまけ
 
「語りたいのはインストルメンタル(作曲と編曲)の方」と前置きで述べたからこの項目はあくまでおまけであり、
桜内梨子および逢田梨香子推しとしての戯言と感想に過ぎないので、なるべく短くしたい所存。
 
  1. 裏声と地声の使い分け
 
桜内逢田推しになってからずっと注目していた、お二人の裏声と地声の使い分け。
前は一度だけ裏声と地声の説明キャスをやらせていただいたことがあって、
その時も例として挙げたのは、桜内さんと逢田さんの「ユメ語るよりユメ歌おう」。
 
桜内さん特有の優しさは、「ユメ語るよりユメ歌おう」の「ユメを語る歌が生まれるんだね」の裏声で十分に表現されているし、ほかに「Landing action Yeah!!」の落ちサビの「聞こえたよ」のところもいい処理だったと私は見てる。
ちなみに裏声でヒットした音はどれもD5であり、
「地声でD5をヒットする」のは私自身にとって今でも課題である。
 
じゃあ桜内さんと逢田さんは地声でD5ヒットしたことあるの?っと言うと、
勇気はどこに?君の胸に!」の「違う朝だよ」のところでちから強くヒットしてみせてくれた。
地声でもヒットできるからこそ、桜内さんと逢田さんの裏声地声使い分けは上手と確信しており、
そんな使い分けは「Pianoforte Monologue」にもあった。
 
サビの「気持ちはいつも繋がってるね」と「ありがとうって声届けたくて」では、最高音はD♭5になっている。
一番サビと二番サビでは裏声で、落ちサビでは地声。
 
裏声は桜内さんの優しさを表現し、地声はその決意を表現した。「声を届けたくて」という強い感情を。
 
  1. 「歌っているのは誰だ」
 
「Pianoforte Monologue」の視聴動画が公開された日から、私はずっと疑問に持っていた。
 
歌詞の内容でどっちも連想できるというのは当たり前だけど、
そう思わせてくれたのは「Pianoforte Monologue」のボーカルの声質なのだ。
 
いつの日に見かけた一言、「歌唱でもっともキャラの表現をできているのは逢田さん」という言葉に、
桜内逢田推しとしてはもちろん、客観的に見ようとしてもたぶんそうじゃないかなっと思った。
桜内さんの歌声には甘味があり、その甘味をもっとも引き出せた曲はおそらく「Guilty Night, Guilty Kiss」であり、
例えば「Daydream Warrior」のようなかっこいい曲でも、桜内さん特有の甘味と切なさは薄くなったりはしなかった。
 
しかし、「Pianoforte Monologue」では、視聴動画公開分(一番サビまで)は珍しくそう聞こえなかった。
歌詞のせいでもあるかもしれないが、簡単に言うと「甘味」が薄い。
一番サビ以降は「甘味」が戻ってきて「桜内さんが戻ってきた」感があるが、なぜだろう。
 
サンシャインのソロ曲には2.5次元のエレメントが含まれている主張に私は頷いているのだが、
それは歌詞の話であり、ボーカルの表現はやはり別のこととして考えたほうがいいのだろうか。
 
もしくは私の中では最初から桜内梨子逢田梨香子の境界線がかなり曖昧になっているからか。
 
私の中の2.5次元は、もしかしてそういう意味だったかもしれない。
 
 
 
【FINE】