Pianoforte Monologue の音楽的なあれこれ
前置き
推しのソロ曲になれば語らずにはいられないこそ、たまにはこういうノートを作りたくもなる。
しかし語りたいのは歌詞の内容よりも、インストルメンタル(作曲と編曲)の方であって、
もちろん、「Pianoforte Monologue」 はボーカル曲であり、
最終的にはやはり歌詞に触れてしまうのであろうが、
「音楽で歌詞を描く・なぞる方法」という方面のみで歌詞を触れさせていただきたい所存。
個人論だらけのこのノートには、音楽理論はもちろん、
私自身の耳と目で視えたものしかないので、
「本当の仕組みと意図」は作曲者・編曲者のみが知る
という言葉を心に置いて、
以下の戯言にお付き合いいただければ。
また、かなりの長文になってしまっているので、
用事がある間に読んではいけないとは私からのアドバイス。
必ず暇になった時だけに読んでね。
基本情報
観察部分に入る前に、まずは曲に関しての情報や、
分析に使われる概念を少し説明させていただきたい。
すでに一定程度の音楽理論を把握している方にとっては余分なパートになると思うが、
そうではない方に少しだけでも理解しやすくなってもらえたら。
音階の構成:D♭-E♭-F-G♭-A♭-B♭-C
速度:約95 BPM
拍子:4拍子 (4/4)
D♭ Major の和音(コード)
コードとは最小3音で構成する和音であり、基本の三和音は音程(interval)で3度(degree)間隔の音を採用し構成される。
大文字のローマ数字=長三和音(Major triad / Major chord) I、IV、V はそれに該当し、功能和音 (functional chord)とも呼ばれており、楽曲の調性を確立する役割がある。IコードはTonic chordとも呼ばれており、調性を決める決定的なコードでありもっとも重要なコードである。
フレーズの終わりでV→Iの終止(Cadence)は「完全終止(Perfect cadence)」と呼ばれ、古典音楽ではもっとも望ましい終止式であり、Iコードの重要性もそこから覗かれるのではないかと。
小文字のローマ数字=短三和音 (minor triad / minor chord)。ii、iii、vi はそれに該当する;vii°は減三和音 (diminished chord)。
比較的に不安定であり、その不安定感を解消するためには最後には大体功能和音につながる。
それがB♭minorのiコードと同じになっている)
その特性で短三和音の中では一番安定しているコードとも見られている。
安定感の意味で I>vi>V>IV>ii=iii>vii°と個人的に感じているのだが必然的に事実ではないかもしれない。
調性における表現
- 全音階主義
本曲ではDiatonicism (全音階主義=他の調性からのコードが使用されず、曲の調性にある7つのコードのみが使用される)が適用されている。
全音階主義の反対は半音階主義(Chromaticism)であり、本調にない音で構成したコードを使用することと理解していただきたい。
もっとも手取り早い解釈は本調の和音ではないもの。(基本情報の画像へ参照)
例:
- 青空Jumping HeartのAメロ (C Major ハ長調、C-D-E-F-G-A-B)
C G/B Am Em
Shining Road 走り出すこの気持ち
F F♯dim G6 A♭aug B♭
まっすぐに 勢いよく 君を探してたよ
C G/B Gm7/B♭ A7
ちょっと待ってなんて無理 飛び出そう
Dm G C4 C
僕たちの中の勇気が騒いでる
E♭
ここで待ってないで
D♭
一緒に来なきゃ、だ!
A♭ A♭m
Summer time (Oh ya! Summer time!!)
Gm C
とんでもない夏になりそう
C♭
キミも覚悟は
D♭
できたかな?
以上の例での赤文字コードは全部曲の本調にはないコードになっている。
調性それぞれに「主題の色」があると仮定すれば、半音階主義はその主題の色に「別の色の飾り」を足す効果があり、
曲がさらにいろんな色彩が溢れているようになり、転調に至ることも。
「Pianoforte Monologue」が全音階主義であるため、最初から最後まで本調の「主題の色」を維持していた。
実際にざっと数えてみて、「Pianoforte Monologue」以外に間奏も含めて「ときめき分類学」、「LONELY TUNING」ぐらいしかないかもしれない。
ちなみに本文章を作成している時点で、
今まで発表されたソロ曲−−高海千歌の「One More Sunshine Story」、国木田花丸の「おやすみなさん」、津島善子の「in this unstable world」、渡辺曜の「Beginner's Sailing」も全部全音階主義ではない。
- 転調なし
Aqoursの楽曲に転調がかなり効いている曲は言わずとも、「MIRAI TICKET」と「WATER BLUE NEW WORLD」だった。
それを「桜内決戦モード」と私自身からは呼んでいるのだが、
そんな桜内梨子のソロ曲、「Pianoforte Monologue」に実は転調がない。
強いて言うのならB♭ minor(D♭ Majorの関係調、relative key)に転調したのとも見られるが、
現代音楽ではその境界線がとても曖昧であり、本曲のメロディーではD♭が多めになりその他の音も「ド」に戻る傾向が強いがため、
D♭が中心音(centric note)と見てそれが「ド」と判断した上でviコード使用多めのD♭ Major曲と扱ってもよろしいかと。
そしてかなりの個人論になるのだが、そもそも関係調では曲の「色味」がそこまで変わらないという所もあるし、
前述の通り現代音楽ではかなり曖昧になってきている。
前述の全音階主義と転調なしの特徴から見て、
「Pianoforte Monologue」は最初から最後まで、一つの色しか持っていない。
私個人の感性の話で、他者が視えるものは違うものになっているのはおかしくないのだけれど、
D♭ Majorはちょうどちょっぴり涼しい桜色を帯びている。
変化なしとも捉えられるし、
テレビアニメの桜内梨子はどうだろうか。
「Pianoforte Monologue」の時点の桜内梨子は「地味」なのか、
それとも「己の色を純粋に、自由に表現している」のだろうか。
ハーモニーにおける表現
メロディーにコードを合わせることでハーモニーが生まれてくる。
「コードを選ぶことでメロディーの色味も変わる」という前提で、以下の観察を述べらせていただきたい所存。
なお、「Pianoforte Monologue」のコードマップは本来であればここに貼るべきだったのだが、
それだとあまりにも長すぎるのであえて割愛し、説明する部分だけのコードマップを提供させていただく。
前のセッションにも貼ったのだが、D♭ Major のコードは以下になり、
D♭ = I、E♭m = ii、Fm = iii、G♭=IV、A♭= V、 B♭m = vi、Cdim = vii°、
と以上のように変換して、
各ローマ数字の意味とコードの特性は基本情報のセッションを参考していただきたくと以下の説明も理解しやすくなると思う。
- イントロ、アウトロおよびAメロのローリング・プログレッション
ローリング・プロゲレッション(Rolling progression)とは、同じハーモニー進行を何度もループする仕組み。
イントロ、アウトロとAメロではG♭→A♭→B♭m の進行が一小節ごとループされ、
一番Aメロでは以下のようになっている。
G♭ A♭ B♭m G♭ A♭ B♭m
私のなか 流れ出した 音がたくさんあるの
G♭ A♭ B♭m G♭ A♭B♭m G♭ A♭ B♭m
綺麗なだけじゃなくて でもね どこか優しい音が
G♭A♭ B♭m G♭A♭B♭m G♭ A♭ B♭m G♭ A♭ B♭m
新しい 夢と涙 とけあったコンチェルト
G♭→A♭→B♭mをIV→V→viと変換してそれを見ると、まるで同じ道を何度も繰り返すような進行にも見えるし、
そんなループが曲の最初にと終わりにも出現している。
ちなみに、Bメロにでは同じくIV→V→viのループはあるが、二小節ごとでループされおり、
サビに入る前には新たなコード、ii(E♭m)が使われてそれをV(A♭)に繋げてサビ入りの準備をした。
G♭ A♭ B♭m
ずっとずっと眠ってたの?
G♭ A♭ B♭m
心の熱い願い
G♭ A♭ B♭m
目覚めてって あの日きっと
G♭ A♭
呼ばれてたと気がついた
前述の通り、viは短三和音の中で一番安定しているのだが、やはりI(D♭)がBメロまで行っても出現したことがなく、
その逆にIV→V→viが何度もループされていた。
個人的には現代音楽ではかなり軽快な短調曲がたくさんあって、上述のケースは必然ではなくなったと感じているが、
イントロ、AメロとBメロでひたすら繰り返されていた、少しだけ「暗い」コード進行ではあるが、それも階段を登っているようなものであって、
そんなコード進行が繰り返された歌詞の内容は以下のように。
私のなか流れ出した音が たくさんあるの
綺麗なだけじゃなくて でもねどこか優しい音が
新しい夢と涙 とけあったコンチェルト
ずっとずっと眠ってたの?
心の熱い願い
目覚めてって あの日きっと呼ばれてたと気がついた
(中略)
ふるえるほど緊張しても 私を待つ場所へ
向かおうと 息吸ってから大きく踏み出した
そっとそっとあやす様に
指先動かしたら
向かおうと 息吸ってから大きく踏み出した
そっとそっとあやす様に
指先動かしたら
微笑んでアルペジオ さあ自由になれる
個人的な捉えではあるが、「ピアノという舞台に上がる前の心境」になっている歌詞に、
長調和音であるIコードから離れた段階的なコード進行は実はかなりぴったりなのではないだろうか。
- 調性を主張する、最大安定のIコードの出現回数
この曲ではI(D♭)の「初登場」は一番サビであり、
その同時に実はサビにしか登場していない。
一番サビのコードマップは以下になっており、
A♭ D♭ G♭
ひとりで向かう鍵盤だけど
B♭m A♭ G♭ A♭
感じる…ひとりじゃない
D♭ G♭
気持ちはいつも繋がってるね
B♭m A♭ G♭ A♭
信じることができるから
B♭m A♭ G♭ D♭/F E♭m A♭
なんでも怖れずやってみようと決められる
G♭
強くなれるの
単純にI(D♭)なら3回は出現しているのだが、 D♭/F というのはFをベースにしたD♭コードである。
D♭コードを構成するのがD♭、FとA♭の三音であり、この三つがあればD♭コードが成立されるが、
コードの名前にあるD♭以外の音でベースになっている場合、それを転回(inversion)と呼び、
D♭コードが描く色は保つが、本来のベースであるD♭が上に置かれたことで安定感が薄くなったと考えていただきたい。
転回されていない、本来のD♭コードならサビでの出現回数が2回で、
曲にサビが三つありで3x2=6回で、
ざっと計算すると、Aメロのコード数=18、Bメロのコード数=11、サビのコード数=20で
間奏、イントロやアウトロを除外し、
歌詞ありの部分のコード数内訳=Aメロ x 2 + Bメロ x 2 +サビ x3=118で、
その中に最大安定をもたらすIコードの占有率はたったの5%だった。
(ちなみにあくまで参考用情報なのだが、転回されたコードを除外して、「青空Jumping Heart」でのIコード(C)は、一番Aメロから一番サビまでの出現回数は6回だった)
調性を確立させるためのコードであることにもかかわらず、実にかなり少ない出現回数になっている。
だからこそ、歌詞にも合わせて、サビに入るたびにかなり胸に響くものがあったかもしれない、確実に踏み出したようななにかが。
- サビの「大空」コード進行
この項目はかなり個人テイストの話になる。
「大空」コード進行(以下「大空進行」)というのはI→IV→vi→V→IV→Vの進行であり、
私自身がつけた名前だけで公認の名称ではない。
実際の所、I→IV→vi→Vの進行はポップソングでは結構流行っているらしいが、
「I→IV→vi→V→IV→V」までの進行を自分は大空進行と呼び、その原因もここに述べらせていただく。
左から右へ進んで、
I→IVは下降5度(descending 5th)、つまりIコードというスタード時点から下へ向かう動きになっている。
IV→viは上昇3度(ascending 3rd)であり、IV→からviという関係短調のIコードまで、という上へ向かう動き。
次のvi→V→IVは全部下降2度(descending 2nd)、つまり階段的に下へ向かう動きであり、
その最後にIV→Vでは上昇2度(ascending 2nd)で、本調のIコードに戻る準備を行う。
特筆すべきのは、下降5度と上昇3度の動き。
2度の動きはステップ、3度の動きはスキップ、5度の動きはリープになる。
ステップとスキップに比べれば、リープで作られた距離はかなり広くて空間感をもたらす。
コード進行を線だと考えて、さらに想像力を加えて観ていただきたくと、
スタート地点(I)から飛び降りて、一度は進行の最低地点(IV)にタッチした後中継地点(vi)に戻り、
そのあとまた少しつつ潜って(vi→V→IV)また最低地点にたどり着き、
そしたらまたステップ動きで(V→IV)スタート地点に戻るための踏み台へ向かって、
一気に上に跳んでスタート地点に戻る。(V→I)
まるで空を舞う滑空機のような、空間感たっぷり、自由を象徴するコード進行だと自分は感じているのだが、
Pianoforte Monologueのサビにこの進行を使ったのはなかなかの名案だと思う。
- 一番サビ
A♭ D♭ G♭
ひとりで向かう鍵盤だけど
B♭m A♭ G♭ A♭
感じる…ひとりじゃない
D♭ G♭
気持ちはいつも繋がってるね
B♭m A♭ G♭ A♭
信じることができるから
B♭m A♭ G♭ D♭/F E♭m A♭
なんでも怖れずやってみようと決められる
G♭
強くなれるの
- 二番サビ
A♭ D♭ G♭
あなたを音で抱きしめたいの
B♭m A♭ G♭ A♭
受けとってこの想い
D♭ G♭
ありがとうって声届けたくて
B♭m A♭ G♭ A♭
弾いてるつもり このメロディー
B♭m A♭ G♭ D♭/F E♭m A♭
なんて大げさに聞こえるかな でも本当よ
G♭
忘れないでね
ちなみに、サビの大空進行の後にvi→V→iv→Ia→ii→Vの進行がつながっている。(Ia=Iコードの第一転回。ド、ミ、ソの中でミをベースにした転回法)
ベースラインを見ると実はiiまでの進行は下降ステップになっており、そしてii→Vは上昇4度(descending 4th)であり、
Vもまた中継地点の役割がある。
サビの歌詞では「ピアノに纏わる苦しい過去から解放されたあと」のことを語っていて、
特に一番サビは「想いよひとつになれ」のピアノコンクールのことを語っているような歌詞で、
二番サビに入る前の歌詞が「さぁ 自由になれる」という。
過去から解放されて、心からピアノを楽しめることができた桜内梨子は、
やっと自由になって、しかもその優しい調べと音で誰かを抱きしめたいと語った。
そんな自由が溢れたサビに大空進行を持ってきたのは、
個人的にはすごく嬉しく思う。
- 終止式
前述したIコードの出現回数にも関係している、この曲における終止式の使い方。
終止式にはいろんなパターンがあり、詳しくはぜひウィキで調べていただきたい。
大体はIコードに終われば完全終止(V→I)か変終止(Plagal cadence、IV→I)、
他に偽終止(Interrupted cadence、V→vi)や不完全終止(Imperfect cadence、Vで終わる)もあるが、
この曲のフレーズの終わり方は決まってV→IVになっている。
この終止式に正式な名前はないらしいが、日本のポップソングには実は結構汎用されているに見える。
IVは功能和音の中で一番不安定しているコードで、古典音楽ではほぼ決まってVに向かわせてそのあとIに戻らせるため、
それを終わりに置くのは古典音楽的にはかなりのルール違反なのだが、
ポップソングではすでに認められている終止ではあり、
「疑念を持たせる」、もしくは「続きを期待させる」趣旨もあると私は思う。
特にこの曲の最後では楽器のアレンジによってテンポを落としながらピアノのみで終わりに向かうところがあり、
その演出を「未来への展望」だとも捉えられるのではないかと。
ゆっくり歩き出す、未来へ向かうピアノの音。
メロディーにおける表現
- イントロ及びアウトロメロディーモチーフ
桜色のメロディーはピアノのみがイントロとアウトロで演奏したもので、紫色のメロディーはフルバンドで演奏した、イントロおよびアウトロのメインメロディー。一応上のメロディーの音源も作っておいた。
楽譜が読める方はもちろん、読めない方は音源を聴いていただければわかると思うが、中テンポのこの曲では軽く跳ねるような感じがあるリズムとメロディーになっている。
前に別の場面にも述べたのだが、ラブライブ!サンシャイン!!ではピアノが視覚的にも聴覚的にも桜内梨子のシンボルになっている。それを踏まえて、
冒頭のピアノのみのメロディーが桜内梨子の心が口ずさんだメロディーだと捉えれば、
その後フルバンドが入ったのは「心のメロディーが曲になった」ということにもなる。
アウトロでは紫色のメロディ−の後またピアノソロの桜色のメロディー+αが入ってきて、
再出現したこのメロディーは前述のように「未来への歩み」だとも捉えられるのではないだろうか。
- 各節で使われた音と声区(または音高)
簡単に言うと、ここは各節で使われる「音の高さと範囲」を見る。
わりと当たり前ではあるが、ポップソングは基本Aメロ、Bメロ、サビで構成され、
一番盛り上がるサビでは使う音の範囲も広くなるし高い音も使われる。
しかしこの項目で観たいのは、AメロやBメロの音とその音程(=二つの音の高さの間隔)。
ソルフェージュで表現し、
上記のように、Aメロ前半ではド、レ、ミと低いシが多めに使われていて、レと低いシはどれもドとの間隔が2度(2nd)になっている。
第五小節に入ったらソも使われたらのだが、やはりドレミに徘徊している。
Bメロに入ったらファも使われたけど、
A、Bメロを見ると使われた音の範囲はC4(低いシ)からA♭4(ソ)であり、その間隔はたったの6度(6th)だった。
また、2度間隔の音が隣に並べることが多く、これもステップワイズ、階段的な動きになっている。
曲全体的にの雰囲気を考えて、一番AメロとBメロでそこまで高い音を使わないのはとても妥当ではあるが、
前述した「舞台上がり前の心境」はこの階段的な動きによりもなぞられているかもしれない。
そして、以下は一番サビの楽譜になる。
サビで使われた音の範囲は低いシ(C4)から高いド(D♭5)であり、9度間隔(9th)になっている。
メロディーはやはりステップワイズ多めの構成になっているのが、4度間隔のリープも見られる(「気持ちはいつも繋がってるね」、及び「ありがとうって声届けたくて」)。
ちなみに、Cメロでは5度間隔(5th)も観測できる。
全体的にステップワイズが多いこの曲は、やはり階段的に進むイメージが強い。
過去のエピソードも考慮に入れて、桜内梨子という子は前へ前へ!っと出たがる子ではないし、
それどころか一歩引いて着実に進む、少しばかり引っ込み思案の性格もしているから、
このステップワイズの動きもそれを反映できるかもしれない。
しかし面白いごとに、前述の「イントロ・アウトロメロディーモチーブ」では軽く弾けるようなメロディーも存在している。
「ピアノなら伝えられそう」というのはもしかしたらそういうことかもしれない。
普段はそこまで胸に秘めている情熱を表に出すことはないが、
彼女が作った曲ならその熱意が観れると感じたのはおそらく私だけではないのだろう。
- Bメロの締め
これは曲を聴いていればわかるかもしれないが、
一番と二番のBメロの締めのメロディーはお互いに異なっており、歌詞も含めて見てみたらおそらく
メロディーで歌詞の内容も反映されている。
「呼ばれていたと気がついた」→ドレファミミレレドレミレ
「さぁ自由になれる」→ドレファミミラソ
特筆すべきなのは、赤文字のミ(F)とラ(B♭)の4度間隔(4th)。
前述のようにAメロとBメロではステップワイズが多めで、これらの節での4度間隔の上昇リープはこれが唯一。
飛ぶようなリープが含まれている歌詞は「さぁ自由になれる」であり、
伴奏に合わせて聴けば結構言葉のままの雰囲気が引き出されているのではないだろうか。
楽器アレンジにおける表現
この曲の題名は「Pianoforte Monologue」であり、必然的にピアノがスポットライトに当てられているのであろうが、
だからこそ他の楽器を見て行きたい。
この曲の編曲者ではないため、使われた楽器を全部把握しているわけではないが、おそらく以下の通りになっている:
- ピアノ
- エレキギター
- ベース
- ドラム
- ストリングス
- シンセ
ここで特別に見てみたい楽器はストリングス。
この曲ではヴィオラのみではなくストリングス全体使っている。
サビではテクスチャーをより豊かにさせるために伴奏をしているが、
一番のAメロでは低音でひそやかにコードを一個一個弾いていて、二番のBメロではピッツィカート(弦を指で弾く)をかなっていた。
この曲のAメロはどっちも静かで、とくに二番でのピッツィカートは心の「ピクッ、ピクッ」を奏でているような奏法だった。
前の項目「イントロ、アウトロおよびAメロのローリング・プログレッション」でもAメロの歌詞を引用したのだが、
まだ少しだけ不安がある心境をなぞるためのストリングスのAメロでの奏法は実にとても似合う。
他に面白いと感じた楽器アレンジはエレキギターによる線のようなハーモニー(イントロ、二番サビ、落ちサビ後半、アウトロ)と、
ピアノによるレギュラービートの伴奏(落ちサビ前半)。
エレキギターのハーモニーはまるで別のボイスが一緒に歌っているような感じもあり、
もちろん上述以外にもまだたくさん見るべき点があるけど、それらも語ると終わりが見えなくなるのであえて割愛させていただく。
まとめ
こんな風に音楽理論からいろいろと語らせたのだが、
最終的にやはり私自身が視えたものであり、作曲者・編曲者との意図が異なるところはきっとあったのだろう。
しかし作曲担当が作った、楽器を題名にした曲を、
歌詞からではなく作曲・編曲から視て、作曲上の得るものは確かに多かった。
2次元と3次元がどれぐらいシンクロしているのか、その答えはおそらく永遠に出てこないだろうけど、
調性、コード進行、メロディー、楽器アレンジから見た「Pianoforte Monologue」は、
どこか歌詞と響き合っているところがあったとしたら、
それもまた「桜内梨子のやり方」と見ては、妄想もかなり楽しくなってくる。
純色のこの曲は、どこまでも優しかったし、強い決意も秘められていて、
いつもの桜内梨子だった。
おまけ
「語りたいのはインストルメンタル(作曲と編曲)の方」と前置きで述べたからこの項目はあくまでおまけであり、
- 裏声と地声の使い分け
桜内逢田推しになってからずっと注目していた、お二人の裏声と地声の使い分け。
前は一度だけ裏声と地声の説明キャスをやらせていただいたことがあって、
その時も例として挙げたのは、桜内さんと逢田さんの「ユメ語るよりユメ歌おう」。
桜内さん特有の優しさは、「ユメ語るよりユメ歌おう」の「ユメを語る歌が生まれるんだね」の裏声で十分に表現されているし、ほかに「Landing action Yeah!!」の落ちサビの「聞こえたよ」のところもいい処理だったと私は見てる。
ちなみに裏声でヒットした音はどれもD5であり、
「地声でD5をヒットする」のは私自身にとって今でも課題である。
じゃあ桜内さんと逢田さんは地声でD5ヒットしたことあるの?っと言うと、
「勇気はどこに?君の胸に!」の「違う朝だよ」のところでちから強くヒットしてみせてくれた。
地声でもヒットできるからこそ、桜内さんと逢田さんの裏声地声使い分けは上手と確信しており、
そんな使い分けは「Pianoforte Monologue」にもあった。
サビの「気持ちはいつも繋がってるね」と「ありがとうって声届けたくて」では、最高音はD♭5になっている。
一番サビと二番サビでは裏声で、落ちサビでは地声。
裏声は桜内さんの優しさを表現し、地声はその決意を表現した。「声を届けたくて」という強い感情を。
- 「歌っているのは誰だ」
「Pianoforte Monologue」の視聴動画が公開された日から、私はずっと疑問に持っていた。
歌詞の内容でどっちも連想できるというのは当たり前だけど、
そう思わせてくれたのは「Pianoforte Monologue」のボーカルの声質なのだ。
いつの日に見かけた一言、「歌唱でもっともキャラの表現をできているのは逢田さん」という言葉に、
桜内逢田推しとしてはもちろん、客観的に見ようとしてもたぶんそうじゃないかなっと思った。
桜内さんの歌声には甘味があり、その甘味をもっとも引き出せた曲はおそらく「Guilty Night, Guilty Kiss」であり、
例えば「Daydream Warrior」のようなかっこいい曲でも、桜内さん特有の甘味と切なさは薄くなったりはしなかった。
しかし、「Pianoforte Monologue」では、視聴動画公開分(一番サビまで)は珍しくそう聞こえなかった。
歌詞のせいでもあるかもしれないが、簡単に言うと「甘味」が薄い。
一番サビ以降は「甘味」が戻ってきて「桜内さんが戻ってきた」感があるが、なぜだろう。
サンシャインのソロ曲には2.5次元のエレメントが含まれている主張に私は頷いているのだが、
それは歌詞の話であり、ボーカルの表現はやはり別のこととして考えたほうがいいのだろうか。
私の中の2.5次元は、もしかしてそういう意味だったかもしれない。
【FINE】