林檎好きの戯言ログ

気まぐれでしかブログ書きません。しかし毎回長い。

最後の最後でもわからない、だから証明しようーーME

ME

ME

 

「ME」という曲を、「栄光」という単語に関連させたセンスがすごく好きなんだ。

 

明るさと暖かさ、そして栄光。そんな単語が瞬時に頭を過ぎるぐらいに、音が目に見えたような気がしました。優しい光に包まれて目覚めるとともに背中から羽が生えてくるような、そんな神秘的な光景がすごく似合うと思う。

For…us,the principal is "ME" - 風見鶏の慧眼

 

「栄光」。デジタル大辞泉(小学館)で調べると、その意味は「輝かしいほまれ。大きな名誉。光栄。」であり、つまりそれを「輝かしい成果」だと言い換えてもいいのではないかと、私は考えている。

 

しかし成果というものは、未来でしかその存在が証明されることなく、今には存在していない。「今」をかろうじて成果を形にする過程に過ぎないとしか言えないのだろう。

 

どうしてなのかは私自身にもわからないのだが、薄明光線という景色こそが栄光そのものだとイメージしている。

 

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(薄明光線 - Wikipedia)

 

太陽が雲に隠れているとき、雲の切れ間に漏れてくる光。それが薄明光線だ。転じて解釈すると、「一面の明るい景色」ではない。

 

「ME」もおそらくそういう曲なのだろうーーただただ前向きではない、答えがわからない、どこか現実と乖離している心が「それでも前へ」と寂しさを振り落としながら進む曲。

 

都会の海は 果てしなくて

どこまで行っても 揺らいでいた

だって 正しいとか 間違いなのかは

最後の最後でもわからない

 

「栄光」に触れるために、まだはっきりとは見えないが光の方向へ歩き出す構図。それもいいのだが、やはり迷子になってしまうらしい。「だって正しいとか間違いなのかは、最後の最後でもわからない」。

 

個人的にこのフレーズがすごく面白いと感じている原因は、よく「答えはいつかわかるよ」という思考に触れているからだ。

 

その思考だと答えは存在しているという前提を立ているのだが、「ME」のこの歌詞は答えの存在すら否定した。

 

正解か否か、それは最後の最後でもわからないことだ、っとネガティブに聞こえるようなフレーズではあるが、私は逆にそのフレーズにとても打たれてしまった。

 

私は間違いというものに恐れている。選択を誤ってしまったら、それが失敗に繋いでしまい、間違った結果に行ってしまうことが怖い。だから最初から正解を狙うようにしていて、それゆえにしばしば息苦しいと感じることもある。

 

しかし、正解か否か最後の最後でもわからない=答えなど存在していないということは、それはつまりそういう自由が存在しているということだ。間違えることを恐れずに、勇気を持って「いろんなことをやってみてもいい」という自由がある。

 

例えそれが少し不思議な夢であっても、どこか惹かれてるなら。

 

証明するのは、選んだ道が正解ではなく、「これまでの道のりが決して嘘ではない」こと。

 

一度きりだから。

 

答えが存在していなければ、それは怖いことでもあるのだけれど。

 

一度きりだから。どこか惹かれてるから。

 

前を向いて、自分らしい自分で。

 

これまでの道のりが

決して嘘ではないと

これからは少しずつ

証明するよ

でも 心細いから

そばで見守っていてね

私らしい私で

 

「ME」。これは「栄光」に向けて、不器用でありながらも自分を証明しつつ歩いて行く曲。

 

だから今日もきっと、「答えがわからないという自由」で、この空は光に満ちている。

 

 

 

愛おしい毎日を 生きていくよ

 

 

【FINE】

 

 

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